フラップ・ダック鎮魂

 〇〇〇社製、腕時計、100メーター・ウオーターレジスト、クオーツ、Y101・6040型、ナンバー345443号。
 求めたのは四十数年前である。〇〇〇社というのも、クオーツというのも、当時は耳新しいものだった。
 社名〇〇〇は「白」を意味し、クオーツというのは純粋な石英の結晶体、つまり「水晶」のことであるぐらいは分かった。さらに説明を聞いてみると、発振させると大変に安定した振動が得られるという水晶の特性を応用したものだという。白、水晶、発振、などという語は互いに相乗しあって、「正確」という響きを強める効果を私に及ぼしたものだろう。

 きらびやかでもシャープでもなかった。本体は薄く作られていて、グレイの文字盤に短針、長針、秒針だけが配されていた。日付や曜日や積算などを表示する機能はなにもない。時を計ることだけに徹底していた。
 いちばんの特徴は、つやを消したステンレス製のバンドと、本体との繋がれ方だった。腕時計というものは、文字盤の12時と6時とを結んだ線でバンドに連結されているのが普通だと思うのだが、これは11時と7時を通した線がバンドの中心線と一致していた。だから大きな卵を飲み込んだ蛇のように、本体が3時の方向にポッコリと突き出して膨れている。どうしてこういうデザインにしたのか分からない。ユーモラスではあるが間が抜けて見える。デザインした人もそれを意識していたものか、文字盤に「フラップ・ダック」と小さく書かれている。「羽をぱたつかせては、気軽に水にもぐるやつ」とでもいった愛嬌のつもりだったかもしれない。

 実に正確に動き続けた。月差プラス・マイナス2・3秒というところだったろう。余分な機構をいっさい持っていないためか、電池の寿命が長かった。信頼感は愛着をつのらせる。間の抜けたデザインが次第に好ましい個性と映るようになってきた。

 フラップ・ダックは、沖縄の海のコバルトスズメの群れと遊んだことがある。暖かい海に棲む、あれほど可憐で人なつこい魚たちに囲まれることができたのは、私にとっても生まれてきた甲斐のひとつだった。

 房総の沖で、たぐり上げられた「びしま仕掛け」がとぐろを巻く甲板の上で、びんびん跳ねまわる真鯛の姿もフラップ・ダックは見ている。型を揃えて7枚、続けざまに上げることができたのは、私にとっても生まれてきた甲斐のひとつだった。

 娘が生まれた。4歳になったとき、千葉の海に2・3日遊びに行った。ホテルの泊り客が安全に泳げるように、テトラポットが防波堤がわりに沈めてあった。
 波は高くなかったから、娘をゴムボートに乗せて背の届かないところまで出た。娘はぐねぐねしたゴムボートを面白がり、中央からずれたところに移って水を叩いてはしゃいでいた。そこへ私が水中からアザラシのようにのしあげたから、ボートの一方がほとんど持ち上がるほどに傾いた。あぶない、と思って身体をのけようとした。
そのとき、テトラポットの列を越えて来た波が私たちを軽々と煽り上げた。

なにもかも、さかしまに頭上に落下してきて、娘の姿が消えてしまった! 

 めくらめっぽうに水の中をもがきまわっていると、足の先が柔らかいものに触れた。片手で、すぐに両手で、娘の胴をつかんで差し上げることができた。ボートがない! 砂浜が遠ざかって見え、水を飲みそうになった。
 くいと左の手首を引かれた。ボートの縁に回してある紐の端が、フラップ・ダックの一方への膨らみと、私の皮膚との間に挟まったのである。紐を引くと、魔法のようにボートは顔の前に弾み戻ってきた。娘を投げ入れ、後を押して数分で浜に戻ることができた。この時計の変わったデザインのおかげだった。
 娘は、咳き込むことも泣くこともなかった。青い顔をして、体をこわばらせていた。何も言わなかったけれど、海が秘めている色を見たに違いない。水泳をたいそう得意として成長したが、海の中に入ることは避け続けた。これからも、海にじかに関わる仕事には就かないであろう。

 時は種々の場所で刻まれる。フラップ・ダックと私はほとんどいつも一緒だった。私は少年矯正施設で働いていた。絶望した青年が切った動脈から吹き上げる鮮血を、私とともにフラップ・ダックも浴びた。大量の睡眠薬を一度に服用した少女の胃に、太いパイプを挿入して洗う。げぼりと嘔吐が始まることがある。臭い立つ吐物を私とともに被った。だが、フラップ・ダックと私とのコンビは、つねに運に恵まれていたのである。

 電池を替えたのは7回だったと思う。あとのほうになると、オー・リングの調整がどうのということで十日間ほどを預けなければならなくなったが、その都度、好調だった。
 いつでも施設に駆けつけられるように、官舎に住むことを義務づけられていた。その夏の休日、官舎の雑草を抜いたあと、手と腕を洗った。昼食をとろうとしたとき、腕時計の文字盤のガラスが曇っているのに気付いた。よく見るとそれどころではない。秒針が水を掻き分け、あえぐように、時を刻んでいた。そうして数時間後、動けなくなった。
 完全にオーバーホールしなければ駄目だといわれた。しかも機能が元に復するかどうか分からない。骨董品にこだわっているよりも、進んだ機構を備えたものが安価に出回っているではないかということだった。
 考えた。フラップ・ダックと私との古い関係はここで終わるべきである。互いに保ちあうべき時は過ぎ去った。先に壊れるのはどちらであるにしても、人と道具との関係の宿命でもある。それどころか、全ての事態には終わりがあるということには例外はない。
 次の休日には自宅に帰った。さりげなくもちかけて、娘に立ち会ってもらおうとしたが、あいにく外出していた。庭の隅にできるだけ深い穴を掘って、そのままで埋めた。誰にも触れられずに休み、腐る部分はそのように、残る部分はそのように、永く静かな時を贈るのがふさわしいと思ったからである。

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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