その春も、巣箱の中にヒナたちが孵ったとみえて、シジュウカラの親たちの動きはウナギノボリにあわただしくなりました。
いれかわりたちかわりに虫を運んできて、立ち去るときには、ヒナたちの出した白い糞をくわえて飛び出してゆきます。外敵に察知されないように、糞は巣からじゅうぶんに離れたところで捨てられるのです。
私が近くをうろつくことがあると、「ジッジッジッジッ」とけっこう凄みの効いた声をだします。私を威嚇し、ヒナたちには「静かにしていなさい!」と警告しているのでしょう。
わずか1日の違い 身体も好奇心も
ヒナたちの成長ぶりは物凄いものです。その日、ヒナたちは底に重なり合って息をつめ、親の警報によく従ってぴくりとも動かず、まるで一枚のビロード苔のように見えました。ところが、次の日には身体もひとまわり大きくなっていて羽毛も増え、親の警告もそっちのけで、好奇心いっぱいです。
巣立ち
そして、その年は五月二十一日の朝。すこし離れたところから親たちが、「ヒヨヒヨヒヨ」というような柔らかい声を繰り返して誘い、それに導かれて、ヒナたちが一羽また一羽と巣立ってゆきました。
この様子に個性があります。巣穴から身を乗り出してひととおり周囲を見定めると、あっさり穴のへりを蹴って空気に乗ってしまうのがいます。一文字に引き結んだ黄色いクチバシと、真剣そのものの黒い瞳が印象的です。
反対に、顔を出しては引っ込め、出しては引っ込め、くまなくあたりを探るのですが、なかなか踏み切れないのがいます。そのうちに兄弟たちに後ろから突き上げられることがあるらしく、ふいにこぼれ落ちそうなほどにのめりだすけれども、ぐらぐらしながらもしがみ付き続けて、ついには引っ込んでしまうといったふうです。
そもそも、親たちに違いがあるのに気付くことがあります。どちらが父親か母親かは分からないのですが、一方は、クチバシに虫をぶら下げて返ってくるものの巣箱から離れてとまり、それからあちらこちらを警戒しながら、ちびちびと穴に近づいてゆきます。辺りをうかがい、つぎに反対側に移ってまた警戒し、ようやく中央の穴に入ってゆくのです。見ていてまだるこしくなってしまい、「いまさら、そんなに用心しなけりゃいけないものかなあ」と思ってしまうほどです。
と、他の一方は、前触れもなにもない。ふいに巣箱の正面の高みにあらわれ、そのまま、まるでパチンコの玉が落ちるように、一直線に穴の中に突っ込んでゆくという乱暴ぶり。ヒナに激突して怪我をさせんばかりの勢い。たまたま、つれあいの一方が巣箱に戻っているときに当たるかも分かりません。出会いがしらの衝突は、もっと深刻になるはずです。狭い巣箱の中で、どうやってブレーキを掛けるのでしょう。
なりふりかまわず子育てに開き直っている方が、たぶん母さん鳥だろうと私は思ったりしますが、毎年見ていると、そのような組み合わせが多いようです。そうしたDNAを、ヒナたちはそれぞれに受け継いでゆくのでありましょう。
最後に残ったヒナが、なかなか踏み切れないでいるとき、親が巣箱の前でホバリングして励ますことがあります。シジュウカラに言葉があるとしたら、つぎのような声掛けをしているのでしょう。
・・・思い切って、ぼうや。あそこの枝でみんな待ってる。ぐずぐずしてると、みんながカラスに狙われる。早く! 安全なところに行くんだよ・・・
すると、目の前で羽ばたいている親に抱きつくように、ヒナは思い切って冒険に出ます。あわや失速、墜落となって終わりそうになりながら、溺れるようにしてなんとか近くの木の下枝につかまることができます。それだけで学習になるのでしょう。一息入れて次の滑空にうつるときには、かなりしっかりと大気を掴んでいるものです。
や おかしなところに来ちゃったのかな
そんな一羽が、私の家の敷居まで迷い込んできたことがあります。黄色いクチバシと拡げた尻尾を見てやってください。興奮しているのです。少し休んで、この子も明るい方を目指して飛んでゆきました。
懸命な子育てや巣立ちの様子を見ていると気疲れしないではありません。巣箱を掃除しながら、「来年は巣箱を置かないことにしようか」と独り言を言ってみます。そのくせ、なんだか幸せを感じているのが自分でわかっているのです。毎年同じような独り言をいい、似たような気分を味わうことになるのもおぼえているのです。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。