ヒトはなんとなく奇妙な積み上げをすることがある・・・私と剪定鋏

25年ほども前になる。ホームセンターで小さな剪定鋏を買った。
こうした道具を手に入れるときは、刃の擦り合わせや握り具合などの使い勝手を素人なりに納得したいものだが、ちかごろは難しくなっている。手にとって試すことができない。似たようなものが、似たように透明な硬いフィルムでラップされ、並んだ掛け金から層をなしてずらりと垂れている。
ひとつを抜きあげて裏返すと、「いったん木を挟んだら横にこじってはいけません」などと印刷してある。買い手はそろって小学生同然のレベルと想定しているらしい。

小さな剪定鋏との出会い

運にまかせて私が手に入れた剪定鋏は、しかし大当たりだった。切れる。小さくて軽い。スコリと枝を切り終えた手応えと、元に返るバネの調子がことに良好で、長時間使っても疲れない。切れが鈍くなったら研ぎさえすれば、新品と同様にもどる。泉州は堺で作られているものだった。

ちょうどそのころ、妻と義母がハンドバッグを整理して、名残は惜しいがこれ以上は・・・というのがいくつか出てきた。革の物はイタリアが一等と聞かされていたが、どれどれとあれこれ触れてみて納得した。革の手触り、伸び縮みする方向を揃えてある厳密さ、用いている金具、縫製、補強、そしてデザイン。イタリアとフランスのメーカーは、かつては無数にあった馬具屋が生き残ったものが多いということがなるほどと思われた。

ケースを作ろうという思い付き

この革を利用して剪定鋏のためにケースを作ってやろうという思い付きが、ふと湧いた。折りよく都心のデパートでレザー・クラフトを紹介する催し物があり、必要な道具をまとめて求めることができた。アメリカの中西部で、今も鞍などを補修しているという手縫いのための素朴な糸巻きと針。ロウ引きの麻糸。穴あけポンチ、カシメのセット、ミンクオイル、皮革用の接着剤などである。

縫い合わせる部分をなるべく少なくするように工夫しながらケースをデザインしてみると、どうしても西部劇に出てくる拳銃のホルスターを二周りほど小さくしたようなものになる。

腰の強い素材、比較的薄手のもの、エナメル加工のものなどを扱っているうちに、自分としては見られるものができるようになった。そうした途中から「だれかにあげよう」という思いが、これまた自然に湧いてきた。そもそも鋏のケースというものは、三つも四つも必要なものではない。
お世話になった人が転勤することになったので、同型の剪定鋏をもとめ、できの良いと思われるケースを付けて贈ることにした。革にはミンクオイルをたっぷり擦り込んだ。ミンクオイルはどうしてか素材の色をわずかに暗くし、良い香りを発散させる。
これが喜ばれた。
「いやあ、自分で庭の世話をしてるんで、新しいのを欲しいと思っていたところです。いやあ、なによりも手作りのケースというのが嬉しいです。ありがとう。ありがとう」
もの喜びの激しい人が居るものである。

こうしたことで私はすっかり調子に乗って、別れがあるといえば、きまってケース入りの剪定鋏を贈るようになった。そうしたなかには、手に取るのも控えて、目をパチクリさせるばかりの人がいた。
「これはその、縁を切りたいということではないでしょうね」
しげしげと眺め回したあげくに言った人もいる。「なるほど」と私は思い、それからは作業用のベルトを常に用意しておくことにした。
「いえ、大丈夫。これでつながります」
妙な具合になりそうだと、ケースにベルトを通して輪を作って見せる。一転、膝を打ち、腰を浮かして合点してもらえることもあった。

ケースを作り続ける

妻と義母のハンドバッグも、自分の古鞄も、やがて無くなった。質の良い革の切れ端が安く出されている店を見つけることができたので、それからも、同じ型のものを作り続けた。
こうして何年かが巡り、鋏をあげた人からの賀状に、「いただいた鋏の方は今でも現役で働いております」などと添え書きされているものが交じるようになった。そうして、私自身が退職を迎える年頃にさしかかってきた。

あるとき鋏を買ってきたら、フィルムと厚紙の間にアンケート用紙が入っていた。協力をいただければ、粗品とともに当社の全製品の案内を送りたいということだった。私は粗品も欲しかったし、この会社の全製品について知りたかった。アンケートの一項に、「これまでに求められた当社製品を御教えください」というのがあったので、「剪定鋏〇〇型、約95丁」と本当のことを書き入れた。
なしのつぶてであった。誤解されたのであろう。しばらくしたら、また同じアンケート用紙の入った鋏に当たった。今度は、これまで購入したものとして、「剪定鋏○○型二丁」と書き入れた。すぐに多種の園芸用の刃物類を載せたカタログが、粗品の日本手拭いとともに届いた。楽しませてもらったあげくに、「高枝切鋏」というのを買い足すことになった。

スプリングが外れて飛ぶ  そしてよみがえる

昨年の秋の終わりのことである。私がいちばん好んで使っていた剪定鋏のスプリングが外れた。三メートルほどの高さから古葉や小枝が折り重なった上に飛んだのだが、奇跡的に見付けることができた。ほんのしばらくして、また外れた。今度は、捜し出せなかった。
メーカーに電話を入れて事情を話すと、年季を積んだと分かる技術者に代わった。
「スプリングが外れたのは、刃の擦り合わせが甘くなって、全体に歪みが出てきているせいだと思う」
「木のシブのために戻りが遅れることがある。スプリング自体の調子をもう少し強くしたほうが良いのではないか」
この二点を私は伝えた。
相手は「たいへん参考になります」と言い、刃の擦り合わせの調整の仕方を私にも分かるように教えてくれ、最後に「失くされた部品を別便でお届けします」と言った。

新しいスプリングが届いて、調整を済ました私の鋏は新品同様になった。同じパックのなかに、私と話をした技術者の手紙が入っていた。「長い間にわたってのモニターの結果は勉強になる。挨拶をしたいが、とりあえず自分にできることは限られているけれども、もし良かったら・・・」とあり、「特殊鋼を使った料理包丁の大小。それぞれの背に使用者の名前を刻印」ということで、破格に安価な見積もりが記されていた。私は妻の名前を書き添えて、おねがいする旨の返事をだした。

私の退職の日が近づいてきた。その年の二月、一緒に仕事をした人たちが、妻と娘をも招待して「送る会」を開いてくれた。盛り上がって楽しく、忘れがたい夕べとなったが、終わりの挨拶で、どこかずれている男とよく付き合ってくれたという礼を兼ねて、私は剪定鋏の始末記の話をした。「その数、百丁を超えてしまって・・・」と聞いて、座に大笑いの渦が巻いた。

その夜、家に帰ると、タイミングを見計らったかのように小包が届けられていた。例の堺の人からのものである。特注の二丁の包丁は鈍く光を放って重く、刃を爪にあてがってみただけで、ものすごいほどの切れ味を感じることができた。そしてそれぞれの背には、妻の名前が吹き付けられていた。
妻はいくらか気味悪そうに、かなりのあいだ包丁をためつすがめつした。
「剪定鋏、百丁とはねえ・・・」
とつぶやいて溜息をついた。目の前にいる男と朝から晩まで顔をつき合わして、この先やっていけるのか知らんと不安を感じているのが分かった。
「月日の積み重ねというのはすごいね」
私はとぼけた。

正直に言うと・・・その日までに私が買った剪定鋏は百三十二丁。そして同じ数だけのケースを作っていた。数時間まえの送別会のお開きのとき、日頃からとりわけ熱心に私の面倒を見てくれている大男が近づいてきたので、これまでの礼を言おうと思ったら、先を越されてしまうということがあった。
「聞いてみたら、かなりの人が貰っていると言うじゃないですか。わたしは貰ってませんよ。もっと働けというんですか!」
怒鳴りあげるような勢いだった。最後のものを精魂こめて作らせてもらう、と私は約束した。
その年の三月末日をもって、百三十三対を思い出の一部として、無事、退職した。それ以上の剪定鋏を買うこともケースを作ることも、それからは止めている。革細工はまだ続けている。

ヒトはそれほどの思い入れが無くても、妙な積み上げをすることがある

江戸時代の前期に生きた僧「円空」は、「一生不在 弱者救済 造仏行脚」を志し、64年の生涯のあいだに12万体もの仏像を木彫し、ついには「即身仏」となったという。ものすごい気迫である。
そのように高邁な気迫や覚悟がなくとも、さして気負わなくても、妙な積み上げをする
という不思議な習性がヒトにはあるらしい。思えば、たいていの生き物に備わっている本質的な習性であるようにも見えてくる。

ロウボウ

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

「ヒトはなんとなく奇妙な積み上げをすることがある・・・私と剪定鋏」への4件のフィードバック

  1. そうだったんですか!
    私共がいただいたのは133対しか作られなかった手縫いの銘品の初期の貴重品だったのですね。小さな銀色の剪定鋏、未だ健在です。
    ケースはこんな靴屋さんのような道具で造られたのですね。
    それにしても野鳥のブログと思いきや、たちまち深く広く変身していくので付いていくのが大変です(笑)。
    2018年のブログ、また楽しみにしています。

    1. そうなんです。133対のうちの一つでした。貴重でもなんでもなく、ときどきの思いで作っていたら133対になりました。もし、私が本職の靴屋さんだったら、やはり気負うことなく何千足あるいは何万足もの靴を作ったことだろうと思います。アリがせっせとエサを巣に運び続けるように・・・。ヒトにもそういう習性があるのかと思うと、可愛らしいような、怖ろしいような、不思議な感じがします。

  2. ブログのことをお知らせくださり、ありがとうございました。
    私も、転勤するときに頂戴した鋏とケースは大切にとってあります。でも、こちらの文章を拝読して、大切にする方法を間違えていたかなと思い直し、しまい込んでいたのを先ほど出してきました。団地暮らしでは毎日使う道具ではありませんが、いつでも手に取れるよう、いつも使う園芸道具と一緒に出しておこうと思います。

    1. ああ、ありがたいです。大仰に言えば、私の一部が若返ったような気がします。ベランダが一層素敵になりますように。それから、いたって小ぶりのものですから、散歩の折などにベルトに付けておきますと、野の花などをちょっと持ち帰るのに重宝するとおもいます。いつまでもご健勝であられますように。

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