その他にも、いろいろな事情で私の手元から離れてしまい、やがて再び手にすることができたものは、思い出せるだけでも少なくない。土産物、電子手帳、財布、ナタ、ノコギリ、カマ、カナヅチやドライバーなどの道具類、衣類とそのポケットに入っていたもの、帽子、旅行カバン、小さなものでは時計、もっと小さなものでは時計に付いているバネ棒まで・・・
ちょっと信じられないようないきさつで再会を果たせたものがあり、そうした例の一つに「カメラのレンズキャップ」がある。レンズの表面を守るために装着する黒色のプラスチックの軽いフタのことであるが、これはいくらも経たないうちに紛失してしまうだろうと予想されたので、あらかじめ、太めの麻の紐をつけてカメラの本体につないで置いた。
初夏の早朝、多摩川の河川敷に水鳥を撮りに行ったときに、せっかくの紐がほどけてキャップを無くしてしまった。無いと困るものではある。草木の汁には結構に粘りのあるものがあって、これがレンズに付くと、表面を傷つけないように拭き取るのが大変なのである。取り外してもどこかへ飛んで行ってしまわないように、メーカー側の工夫があってしかるべきだと、すこし恨めしくないではなかった。 それからちょうど一週間のちに、同じ河川敷に立ったとき、念のため、行き帰りに草の間に気を付けてみようと思い立った。行きは堤防の遊歩道の脇を歩き、帰りはそれこそ多摩川の流れに近々と、草を分けるようにして歩いた。そうして、ススキの株の間に斜めになって止まっているレンズキャップのところへ、私は何者かに導かれるように行き着いた。
手に取ると、朝露に濡れており、ほどけた麻紐がそのまま付いていた。
やはりこの夏のこと、娘と北欧の国を旅した。フィンランドで、鹿の革や木片をきれいに色付けしてサイコロ状に並べたものを丈夫な紐でつないだ腕飾りを娘が買った。両端から紐が垂れている。さっそく、蝶結びで手首に留めてくれというので、私はその通りにした。
3時間ばかり後に、「失くしちゃった。しっかり結んでなかったからよ」といって手首を差し出された。なるほど、腕飾りはなかった。
それから1時間もしないうちに、「あった!ショルダーバックの縁に引っかかてた」と目を丸くしている。紐の端に、女性がごく普通に髪を留めるときに使う細いヘアピンがあやうげにくっついていた。娘のピンではないという。
バスや鉄道の乗降の際、乗り合わせた他の夫人の頭を娘の腕飾りがかすめ、ヘアピンを引っ掛けて抜き取るのと同時に、こちらの蝶結びもほどけてしまったらしい。そうとしか考えられなかった。
そのヘアピンがショルダーバックの縁を挟んだというのが不思議である。二人であれこれと考えたけれども分からなかった。「お父さんて、ものをよく失くすけど、変に戻ってくるんだよね。おかしいな」と言われてしまった。
よく失くし、よく戻る。ものに限らずいろいろなことについて、そうかもしれないと自分でも思った。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。