戻ってきた失せ物 Ⅴ きわめつけ

朝まだきの多摩川で

 10月初旬の日の出は5時40分前後である。
 その日も、私は朝まだきに家を出て5時少し前には多摩川中流の右岸に立っていた。頭の上には星々が見え、とりわけ「明けの明星」がまたたいており、それらを望遠レンズのターゲットに捉える練習をすることができた。時にはシャッターボタンを押したが、かすかな光を写真にするのに必要な2秒間ほども手持ちの望遠レンズを固定しておけるはずはなく、星はどれも無惨に流れて映った。けれど画像モニターの上では、青い星、赤い星の色合いはむしろ強調されていて、違いを楽しむことができた。
 そうこうしていて東天を振り返ると、少しの間におどろくほどに輝きを増しており、あたりは白んで数匹のコウモリが乱舞をやめようとしている。サギとカワウが下流から上流に移動を始めるのは、5時20分ほどからである。

 下流つまり東の紅みに目を凝らしていると、ミジンコのような黒い点が揺らいで見えはじめ、数を増し、羽ばたいているのが分かるようになり、ぐんぐんと近づいてくる。遠くからでも、ダイサギの群れとカワウの群れとは区別が付く。ダイサギはゆったりと羽ばたいて滑るように大気に乗り、一つの群れは大きくても20羽ほどである。カワウの方は、落ちないためには突進するしかないと云わんばかりに、せわしなくせっせと羽ばたく。
 カワウの編隊は大きいことが多い。何百という数が数珠つなぎになり、団子になり、その数珠と団子が絶えず形を変えては長く連なる。下流から上流の空まで、一本の帯が占めているのではないかと思えることもある。
逆光に浮き出たシルエットがダイナミックに迫り、すぐに頭上に差しかかり、通り過ぎ、遠ざかってゆく。飛翔の仕方はまるで違うのに、カワウとダイサギの群の速度はほとんど同じであるというのは、不思議なことである。
 毎回、似たような光景であるが、何度見ても心が躍る。写真のうち、数が多いのと、それぞれ首をつんのめるように突き出しているのがカワウ。首をS字状にたたんで、長い脚をピンと伸ばしているのがダイサギである。

河原で車のキーを失くす

 その朝も、水鳥たちの出勤ぶりを連写した。ラッシュアワーは終わり、私も満腹した気分になったので、菜園に立ち寄って帰ることにした。
 車まで戻り、車体に寄りかかるようにして、朝露を防ぐためのオーバーズボンを脱いだ。ついでズボンのポケットをまさぐったが、指には何も触れない。そこにあるはずのキーが無かった!! ベストに付いている沢山のポケットを探り廻したが、どれも空振りに終わった。
 10年ほど前に、車のトランクルームに閉め込んでしまったことがあるけれども、出先でキーを見失ったのは初めてのことである。「落ち着いて、落ち着いて」と自分に言い聞かせた。ここは信州の奥深い渓流の脇ではないから、まだしも救われるではないか。
 身体中を叩きまわした結果、キーは目の前に拡がっている河川敷のどこかの草むらの中にあると結論せざるを得なかった。
 キーには小さなナイフと革のタグが付けてあった。ナイフなりがポケットの縁に引っかかったとする。その上にオーバーズボンを履いた動作でキーが引き出され、歩いているうちに、ズボンとオーバーズボンの間をずり落ちて行った可能性が一番高いと考えた。
 自分が歩いた順、立ち止まった場所、カメラの電池を入れ替えるためにかがみ込んだ木立の脇などをたどり直してみた。できるだけ視線をサーチライトのように集中して往復3度。2時間ほどを続けた・・・。
 諦めようかと思った。ケイタイで妻に連絡して、タクシーでスペアキーを持って来てもらうより仕方ない。妻にこの地点を教えるのは難しいが、タクシーのドライバーには何とか分かる説明ができるだろう・・・。

草むらの中に!

 これで終わりにしようと決めた4度目の探索の帰りの3分の2のあたりで、ふいに、その一点が明るく浮き上がっているように感じられた。草むらの中に、ひっそりと沈んでいるキーが目に入ったのである! 
 何という幸運だったろう。あたりはススキとアワダチソウが覇権争いをしているといったふうで、高々と伸びた株をかき分けて進まなければならないところが多い。ふてぶてしく密集した茎の間に落ち込んだとしたなら、まず見付けられるとは思えない。ススキとアワダチソウの争いの最前線といったわずかに開けた低い草むら、そこがキーが私を待ってくれた箇所だった。

 無事で帰ると、ずいぶん遅かったではないですかと妻に言われた。私は近ごろでも上等な気分だったので、つい、キー紛失と発見の一部始終を話した。妻はあきれ顔になり、いよいよボケがはっきりしてきたのではないかと心配した。
 こうした時、力んで反論したり言い訳したりするのは逆効果であることを知っている。「そうだなあ、いよいよかなあ」と私は深刻味を装った。腹の中では、天気にもよるが明日も多摩川に行ってみようとたくらんでいた・・・。
 草むらの中のキーに写真は、正直に言うと、半分はいわゆるヤラセである。発見した瞬間は写真を撮るなどという余裕はなく、電気に触れたように、反射的に手が伸びて掴み上げたのだった。
 この写真は、次の日の未明に同じ場所に出かけ、また水鳥たちの移動を見、帰りにおおよその場所にキーを落として写したものである。その日の朝露が乗ってそれらしく見えるが、細工である・・・。許していただけると思う。

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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