メダカ

 数年前、メダカを十匹ほどいただいた。妻と親しくしているその家の奥さんは、水槽、睡蓮鉢、はては火鉢、発泡スチロールの箱などに水草を入れて、いたって無造作に飼っているように見えた。「増えすぎたから持ってってください」と言われる。半日陰ほどのところに放っておいて良いのだな、と思っていただいてきた。

   小さき目を据えて目高は居りにけり          高橋淡路女

 四・五日したら、小さな目で睨みあげ、「はやく水を換えてくれなきゃ困るじゃないか」と言われているような気がしだした。ならんで睨んでいる。

 水を換えるときには、いったん、小さな器に一匹一匹を網ですくい上げて移さなければならない・・・というのはまずいやり方で、容器はそのままに水だけを半分ほど取り換えてやるのが基本中の基本だということを学んでいなかったから、あやしげに網を扱っているうちに地面に跳ね落ちてしまうのがいた。あわてて水に戻してやる。すると、ふらふら泳ぎだし、しばらくは逆さになったりしているものの、元のように元気になってしまうことがあった。凛として、メダカは逞しい。

 冬の間は、底の泥や沈んだ葉の下などに潜んでいる。春、外気温が十度ほどになる前から動き出す。十五度といえば、さかんに餌を食べる。五月の半ばころから卵を産みだす。その卵というのが身体のわりには大きなもので、小粒の真珠のように透明で、硬く光っている。母さんメダカが、そんな卵を腰の下に風船飾りさながらにまとわりつかせて泳いでいることがある。卵は藻や水草に付けられる。七日もすると、透明さが失せて赤みを帯びてくる。十日前後で孵化する。
 赤ちゃんはすぐに元気に泳ぎだすが、そのままにしておくと、ほとんどが成魚に食べられてしまう。天然の小川には、赤ちゃんが紛れこめる草の根の深い絡みなどがあるのだろうが、限られた容器のなかではそうはまいらない。
 それではどうするか。卵を付けている水草や藻を、一塊にしてごっそり抜きあげ、新しい容器に入れてやる。二週間もすれば、卵はすべて孵化を終え、赤ちゃんだけが追いかけっこをしている。そこで水草だけを成魚の水槽に戻す。成魚の水槽には、実は二週間前のこと、卵を産み続けられるように新しい水草が入れてあり、それが再び卵だらけになっている。それを赤ちゃん用の水槽のほうに移す。このように定期に水草を入れ替えることを繰り返して、たちまち百匹、百五十匹と増えてゆく。
 広くもない庭が、いくつかの水槽はもとより、鉢、プラスチックの容器や衣装ケース、はては古くなった鍋などで占められるようになるから、妻からさかんな文句がでるようになる。無理もないことである。 けれど、始めたとなると初夏から秋まで、繰り返しの作業を止めることができなくなった。どうしてなのか、自分でも分からない。
フライパンのような入れ物であると水は傷みやすく、頻繁に替えてやらなければならなくなる。まだまだ小さな幼魚にとっては、他に移されることは大変な侵襲であるらしく、心肺停止といった状態になってしまうことがあった。硬直したまま沈んでしまう。そのとき細枝の先なりで軽くつついてやると、にわかにヒレが動きだし、数回ぐるぐる廻りをしたあとは再びしっかりと泳ぎだすことがあった。私はメダカに人工呼吸をほどこした何番目のヒトだろうと空想したりした。
 忍んで来るネコとも闘った。水鉄砲で対決した。敵は水草に爪を掛けて全体を引きずり出し、量はともかく臭いはたまらないのであろう、キャビアよろしく卵を味わおうとするのである。冬場に弱い水草を保たせる方法も工夫した。あれこれして、私は数百匹のメダカとともに、その年を越すことになった。

 いくらなんでもということで、私が関係している矯正施設のグラウンドの隅にある金魚のための池に、おおかたを放してやることにした。迎えた年の七月のことである。
 魚釣り用の大型クーラーボックスに入れ、苦労して運んだ。水温の差などを気にしてはいられずにぶちまけると、ドロが舞い上がってなにがなにやら分からなくなってしまったが、まず無事に済んだようであった。
 最寄りの洗い場でボックスをすすごうとして、驚いた。底の捻じ込み式の栓に接着されている帯状の合成樹脂の表面が、まるで「子持ちわかめ」である。シリコーンなどでつるつる仕上げられている内壁は命を託せる場所ではなく、十数時間を揺られているうちに、母さんメダカたちは真珠のような卵を合成樹脂の紐の上に、びっしりと産み付けたのである。
 「これは孵化させてあげなければ」と思った。掻き取って、すこし前に親たちを入れた池に落とし込むより仕方なかった。赤ん坊が身を隠すに適した水草などにあまり恵まれていないから、ほとんどが食べられてしまうだろう。
 メダカの赤ん坊も、この惑星の数億年の生命の変遷を生き抜いてきている。その逞しさといじらしさを信じたいと思った。かならず生き残るものがいる。
「目ばかりでなく、メダカは腰も据えているな」と思った。

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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