この光景 Forever
私たちの列島は、龍が横たわったように南北に細長く伸びているので、亜熱帯から亜寒帯までの自然がうまく連続し、四季が豊かに現れます。
その7割ほどが複雑な形をした山地であることから、例えば秋、「こんなに多くの鷹たちがいったい何処に住んでるの?」と思われるほどの「鷹の渡り」と言われる光景が各地で見られます。秋晴れの向こうの連山の上に「蚊柱」ならぬ「鷹柱」が立って巻き上がるありさまは、心が放たれるような感動を与えてくれるものです。
夏編の続きとして、「樹の上で獲物を食べるミサゴ」「薄の群生や林」「秋のカワセミ」「和太鼓の練習」など、秋の光景を幾つかピックアップしてみました。
どれも身近なものですが、当たり前のようでいて、なかなかそうではありますまい。ミサイルやドローンや砲弾などが飛んでこないこと・・・これは勿論ですが・・・私たちが注意深く守ってきた平和と平穏の全体が収斂して、こうした光景となって現われているのだと言えそうです。誇りに思います。
ミサゴ
ミサゴは、猛禽類のうちでも、もっぱら魚を捕らえて食べるように特化した種類で、空中でホバリングして狙いを定めるや、さかしまにダイブして水面下かなり深くに居る魚を抜き上げるという特技を持っています。
ここに見るミサゴは、折角の獲物を樹の上まで担ぎ上げられたものの、ご馳走が大きすぎてバランスを取るのに苦労しています。
大きな翼を盛んに煽り上げていますが、もったいを付けたり、見せびらかしているわけではありません。ご馳走をテーブルに按配良くセットしようとしているのです。
プランクトン・・・水棲昆虫・・・魚・・・ミサゴ・・・やがてみんなが再びプランクトンに・・・。この連環が何時までも、自然のままに保たれて続きますように。
薄
ススキの穂が風に揺れるありさまは、それこそ見慣れた光景です。
けれど、それを順光で見るか、逆光で見るか、背景は・・・そもそも尾花の色味や透明感が、株によってあるいは季節の進み具合によって千差万別であるので・・・ふと立ち止まってしばらく眺め入ってしまうことがしばしばあります。
花穂がそよぐ様子が、深海のクラゲか何かの乱舞を見るように幻想的であることさえあります。
秋のカワセミ
「ツー」と鳴きながら一直線に飛ぶのが、翡翠の弾丸を見るように心躍るものですが、ここは、枯れて垂れ下がったカラスウリか何かの蔓に止まって魚を探しています。クチバシの下側が赤みがかっているところから、メスであることが分かります。
またの日、おそらく同じ個体ではないかと思われますが、水面に張り出した藪の窪みで休憩しています。枯葉の影が背中にタスキを懸けたように落ちており、あたりが照り返しに映えています。
和太鼓の練習
このあたりに伝わる「のろし太鼓」の保存会の皆さんです。楽しそうです。
太鼓は誰が叩いても音は出るものの、それを聞かせるまでにするには、大層な練習が要るのだそうです。秋の休日、河川敷の堤防の脇は、合奏の合わせにはうってつけの場所なのでしょう。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。