フラップ・ダック鎮魂


ミモザ

 三年ほど前のこと・・・。幹が小指ほどの太さのミモザの苗を、娘が庭の東南の隅に植え足した。マンションに住んで、鉢植えのものばかりを並べているのに物足らなくて、土に根を張って立つ木を育ててみたくなったのであろう。
 ミモザは、春の先頭を切って黄色の小花をたわわに咲かせる楽しい木であるけれど、めきめきと大きくなり過ぎることから、よほど大きい庭でないと付き合うのは難しい。

 はたして、ミモザは急速に成長した。枝が道路側にはみ出るまでになってしまったのは剪定すればどうにかなるものの、結構に太くなった幹そのものが風に煽られると塀に当たるようになった。そもそも、それなりの間を考えて植え付けるべきだったのである。
 三年が経ったこの春、掘り上げて鉢植えにすべきだということになった。ミモザは植え替えが難しいと言われているけれど、細根を残すようにすれば大丈夫だろうというわけである。

出土

 晴れた休日に娘夫婦がやって来て作業を始め、注意深くスコップを使ったが、直根が深く伸びていてなかなか捗らない。探るように更に掘り進めた。
 と、スコップを使っていた娘の夫がふと手を止め、刃の先に引っ掛けるようにして、何かを深みから地面にさらけ出した。

 三人そろって息を呑んだ。春の日を受けて横たわっていたのは、泥にまみれてはいるが完全な形を保った腕時計だったからである。地面の下、それも深くに腕時計・・・。奇妙というかミステリアスな取り合わせである。
 が、その腕時計の特異なデザインを目にした時、私の記憶がよみがえった。土ごと掴み上げてその場を離れた。

再会

 土を払ってみると、読み取ることが出来た。8時7分26秒で止まっている。
 秒針が被さってしまっているが、ブランドはALBA。この名前は記憶にある。品名がカナダを表わす赤いカエデの紋章を挟んでFLAP DUCK。6時の位置にWATER 100ⅿ RESIST QUARTZ。

 裏返すと、羽ばたいているカモのイラストが大きく描かれていて、OUTDOOR SPORTSの刻印。そして型番Y101‐6040。製品番号345443。

 これだけの情報をAIに打ち込むと、たちまち回答が得られた。

 ALBAはセイコーのカジュアルブランドとして、1979年にカナダのアウトドアブランドとのコラボレーションで立ち上げられた。FLAP DUCKはダイバーズ風に開発されたモデルで、イタリアのデザイン巨匠ジョルジエット・ジウジアーロによってデザインされた。若者層をターゲットにし、安価で遊び心ある革新的なデザインと機能を備えたアイテムを市場に投入しようという冒険的なマーケッティング戦略であった。

 私がこの時計を求めたのは1980年代初頭の頃である。思えば、半世紀ほども昔のことだった。
 ショーケースの中の時計は、きらびやかでもシャープでもなかった。アルバというブランドは初めて聞くものだったし、クオーツというのも耳新しかった。本体は艶消しの金属で薄く作られていて、グレイの文字盤に短針、長針、秒針だけが配されていた。日付や曜日や積算などを表示する機能はなにもない。時を計ることだけに徹底していた。
 いちばんの特徴は、やはり艶を消したステンレス製のバンドと、本体との繋がれ方だった。腕時計というものは、文字盤の12時と6時とを結んだ線でバンドに連結されているのが当たり前であるが、目の前のものは11時と7時を通した線がバンドの中心線と一致していた。だから大きな卵を飲み込んだ蛇のように、本体が3時の方向にポッコリと突き出して膨れている。どうしてこういうデザインにしたのか分からない。斬新なのだろうけれど、ユーモラスで間が抜けて見えないではない。カナダのアウトドアブランドとは知る由もなかったから、文字盤にFLAP DUCKとあるのは「羽をぱたつかせては気軽に水にもぐるやつ」とでもいった愛嬌のつもりかもしれないと思ったりしたものだった。
 本体が一方に突き出ているから、リストバンドの反対側は一直線である。バンドの接手が正確に5mmになっているから全長20cmの物差しとして、地図や獲物を計測するのに役に立つのだと説明された。このあたりはアナログに留まっていた。

付き合い

 実に正確に動き続けた。月差プラス・マイナス2・3秒というところだったろう。余分な機構をいっさい持っていないためか、電池の寿命が長かった。信頼感は愛着をつのらせる。間の抜けたデザインが次第に好ましい個性と映るようになってきた。

 フラップ・ダックは、沖縄の海のコバルトスズメの群れと遊んだことがある。暖かい海に棲む、あれほど可憐で人なつこい魚たちに囲まれることができたのは、私にとっても生まれてきた甲斐のひとつだった。

 真鶴半島の沖、たぐり上げられた「びしま仕掛け」がとぐろを巻く甲板の上で、びんびん跳ねまわる真鯛の姿もフラップ・ダックは見ている。型を揃えて7枚、続けざまに上げることができたのは、私にとっても生まれてきた甲斐のひとつだった。

 娘が生まれた。4歳になったとき、家中で房総に遊びに行った。ホテルの目の前の海辺は、泊り客が安全に泳げるように、防波堤がわりに沈められたテトラポットで仕切られていた。
 娘をビニールボートに乗せて背の届かないところまで出た。娘はぐねぐねした乗物を面白がって、水を叩いてはしゃいだ。私は油断した。水中からゴムボートの端にふいにアザラシのようにのしあげたから、ボートの一方が持ち上がるほどに傾いた。あぶない、と思って身体を戻そうとした。
 そこを、テトラポットの列を越えて来た波に煽り上げられ、なにもかもがさかしまに頭上にのしかかって来た。
 幸い、両手で娘の胴をつかんで水の上まで差し上げることができた。が、ボートがない! 砂浜が遠ざかって見え、水を飲みそうになった。
 くいと左の手首を引かれた。ボートの縁に回してある紐の端が、フラップ・ダックの一方への膨らみと、私の皮膚との隙間に挟まっていたのである。紐を掴むと、魔法のようにボートは顔の前に弾み戻ってきた。娘を投げ入れ、後を押して数分で浜に戻ることができた。この時計の変わったデザイン・・・時計の本体とバンドの中心をずらしてあるために一方が浮き気味になることがある・・・のおかげだった。
 娘は、咳き込むことも泣くこともなかった。青い顔をして、体をこわばらせていた。何も言わなかったけれど、海が秘めている色を見たに違いない。水泳をたいそう得意として成長したが、海の中に入ることは避け続けた。

 時は種々の場所で刻まれる。フラップ・ダックと私はほとんどいつも一緒だった。私は少年矯正施設で働いていた。絶望した少年が切った血管から吹き出す血を、私とともにフラップ・ダックも浴びた。大量の睡眠薬を一度に服用した少女の胃に、太いパイプを挿入して洗う。げぼりと嘔吐が始まることがある。臭い立つ吐物を私とともにフラップ・ダックは被った。だが、フラップ・ダックと私とのコンビは、つねに運に恵まれていたのである。

 電池を替えたのは4回ほどだったと思う。あとのほうになると、オー・リングの調整がどうのということで一週間ほどを預けなければならなくなったが、その都度を乗り越えて好調だった。

コンビの終わり

 いつでも施設に駆けつけられるように、官舎に住むことを義務づけられていた。その夏の休日、官舎の雑草を抜いたあと手と腕を洗った。独りで朝食をとろうとしたとき、腕時計の文字盤のガラスが曇っているのに気付いた。よく見るとそれどころではない。秒針が水を掻き分け、あえぐように、時を刻んでいた。そうして数十分後、動けなくなった。
 完全にオーバーホールしなければ駄目だと言われた。しかも機能が元に復するかどうか分からない。骨董のような物にこだわっているよりも、進んだ機構を備えた製品が手頃な値段で出回っているではないかということだった。
 考えた。フラップ・ダックと私との古い関係はここで終わるべきである。互いに保ちあうべき時は過ぎ去った。先に壊れるのはどちらであるにしても、人と道具との関係の宿命でもある。
 次の休日には自宅に帰った。さりげなくもちかけて、娘に立ち会ってもらおうとしたが、あいにく娘は外出していた。庭の隅にできるだけ深い穴を掘って、そのままで埋めた。誰にも触れられずに休み、腐る部分はそのように、残る部分はそのように、永く静かな時を贈るのがふさわしいと思ったからである。
それにしても、ALBAのFLAP DUCKは不思議な雰囲気を秘めたアイテムだった。「未來感とアナログ感を微妙に併せ持っていた」と要約できそうである。

埋め戻し?

 そんなふうな別れが有ってから、信じられないようなことだが、また20年以上もが過ぎ去った。私はまだ生き永らえている。それでこの春、フラップ・ダックとの再会があったわけである。「再会」という言い方が奇妙だとは思わない。相手が人であろうと腕時計であろうと、こちらの心の中に留まっている限り、それは生き続けているのだから・・・。再び土の中に埋め戻そうかどうか、ここ数日迷っている。

 

 

 

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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