この記事は「日本と北欧と世界 日本だってやれるぞ!」を下のように分割したものの、そのⅩです。
そのⅠ ある中年カップルとの会話
そのⅡ 自然災害と天然資源
そのⅢ 来た道 似たところと違うところ
そのⅣ 自然との向き合い方について
そのⅤ デザインについて
そのⅥ 世界の目と自身の目
そのⅦ 日本の今の豊かさ 「貿易立国」から「投資立国」へ
そのⅧ なぜ日本は「最高の国ベスト3」に入るのか
そのⅨ 北欧よりも日本にあるもの
そのⅩ 私の精一杯の提言
私の精一杯の提言
若い方々にお願いするばかりではなく、老いたるとはいえ、私自身も次のようなことに留意したいと思います。
1 今の日本を正しく捉えよう
2 今の方向を維持するのが正解 平和の維持は必須
3 姿勢を正しく 胸を張ろう
4 社会にぶら下がるのではなく 納得のいくように変えてゆこう
5 「日本生徒会大賞」を「インターハイ」「甲子園」並みに盛大にしよう
6 まとめ
1 今の日本を正しく捉えよう
統計をちょっと見ただけでも分かりますが、日本の社会は安定しております。それどころか、犯罪、交通事故、火災発生件数などに表れているように、毎年かなりのスピードで安全度を増しています。
にもかかわらず、意識調査によれば、人々の多くが「治安が悪くなりつつある」と感じており、現に若者の自殺はじりじりと増えています。
そうした不安に呼応するように、テレビのワイドショー番組などでの「ここが凄いぞ ニッポン」といった軽いクスグリが、不安を和らげる頓服として迎えられて流行るようです。
こうした、実態と意識との乖離はどうして生じるのでしょう。
‥・エイジング・ニッポン バブル崩壊で失速 失われた20年の低迷 人口も経済も縮みゆく国 経済力はいずれG20の下位に 若年層ほど悲観的 伝統的価値観に生きづらさ 少子高齢化と人口減少の崖 次代に重荷 民主主義にも影 沈みゆく船から流出する頭脳‥・・・
これらは、この国のオピニオンリーダー役をもって任じている大新聞の報道や論調に繰り返し見られる文言です。ついには「沈みゆく島」「荒唐無稽な国・日本」などとまで決めつけられることがあります。残酷な括り方です。
熱心に読んだり考えたりする若者たちに、どんな影響を及ぼすのだろうかと考えてしまうことがあります。たとえば、「天声人語」を書き写して学ぼうとする少年少女はたくさん居るのです。
「失われた20年の低迷」とか「沈みゆく船」というのは本当でしょうか。
視点によっては、今をときめく北欧諸国をも凌いで「世界最高の国ランキング3位」を占めることがあり、「そのⅧ なぜ日本は最高の国ベスト3に入るのか」で取り上げた他にも、例えば、2019・6・29に「時事通信社」が配信した「日本のブランド力 世界一」という見方があるのです。くどいようですが以下の通りです。
日本の「ブランド力」は世界最高
英フューチュアーブランド社が25日発表。国・地域の評判を基準に算出した「フューチュアーブランド・カントリー指数」のランキングで、日本が1位となった。製品・サービスの信頼性のほか、健康的な食事や自然の美しさ、独得な文化などが世界で高い評価を得た。
同社は「国・地域の力を測るのに、GDPや人口規模、核兵器の数に意味はあるだろうか」と指摘。・・・高い技術やイノベーションを背景にした製品、サービス、西洋とは異なる無駄を省いたシンプルさなどを体現した独特な文化、こそが「日本の偉大な輸出品」だと述べた。
調査はGDPの上位75ヶ国・地域が対象。調査期間は今年1〜2月。過去1年で少なくとも1度は海外旅行をした計2500人にオンラインでインタビューを実施。さらに、交流サイト(SNS)に見られた各国・地域に関する投稿を多数の言語で分析し、22項目で採点した。
日本は5年前の調査でも1位だった。2位はノルウェー(前回6位)。3位スイス(同2位)、4位スウェーデン(同4位)、5位フィンランド(同13位)。上位の国々は総じて、生活の質や環境への優しさなどが高く評価された。
米国は5つ順位を落として12位に転落。トランプ大統領の言動が影響したとみられるという。EU離脱で混迷する英国も7つ順位を落として19位。近隣諸国では、韓国が20位(同20位)、中國は29位(同28位)だった。
頑張る ひよわな花
75か国のうちのトップ。
国土面積世界80番目の小さな列島、エネルギー自給率10%そこそこ、食料自給率40%、木材自給率30%。資源に乏しいどころか、泣き面にハチのように、活断層で縦横にひび割れた堂々の自然災害大国。
原油の輸入路が少し波立っただけでも、ひやひやしなければならないような脆弱な基盤の上に咲く花は、ひよわに見えながら、けっこうに逞しく脈動しているのです。
「貿易立国」と「投資立国」というシーソーのバランスを上手に取りながらGDP3位という活動をしており、それは、そこに住む人々が「動」と「静」の相反するエネルギーを同時に際立たせながら備えているからなのですが、そのような在りようが「荒唐無稽な国」「沈みゆく船」であるはずがありません。
現在の日本の「対外純資産」が365兆円に達するという世界一の規模で、しかも着々と増え続けるのを見て、「日本は海外にもう一つの日本を作り出そうとしている!」というようなコメントさえ外国にあるのです。涙ぐましいほどです。
2 今の方向を維持するのが正解 平和の維持は必須
例えば、米国のように莫大な資源と兵器産業を抱えているなら、動乱や戦争も
好都合な一面を持ったものかもしれません。
日本については、その「貿易立国」も「投資立国」も、平和があってこそ成り立つものだとは云うまでもありません。我が国は「沈みゆく船」ではないものの、四方八方の国々に繋がることで浮いていられる「筏」ではあります。
一層しっかりと浮いていられるためには、常に命綱を補強したり新しくしたりする努力を続けなければなりません。
人類史上画期的な「平和憲法」に「・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるとおり、四分の三世紀を私たちは励んできましたが、これからも方向をブレないようにブランド力を高めてゆくのが必須であるのに間違いはありません。
資源のない国が貿易で成り立とうとしたら、輸入した材料に付加価値を付けて国際市場に問うより方法はありません。後発国が加速度的に製造技術をものにして追い上げてきますから、常に新しいノウハウやイノベーションを手の内にしていることが必要です。責任先頭というか、海を渡る雁の群れの先頭を担うというか、この点は資源貧国の宿命として覚悟しなければなりません。
若者たちの柔軟な頭脳とエネルギーが是非とも必要です!
責任先頭をしっかり果たしているという実績が信用となって、投資立国をスムースに発展させる基盤となるに違いないのです。
3 姿勢を正しく 胸を張ろう
今の私たちは良くやっています。それを誇らしく思って良いのです。
それなら、頭を起こし、胸を張りましょう。
私の住む近くには幾つかの大学のキャンパスがありますが、たとえば早朝、学生たちは誰も見ていない交通信号をきちんと守るので、つくづく感心させられるのです。けれど彼らのほとんどが、スマホを覗き込むか、両手をポケットに入れているので、背を丸めた格好になっています。
「日本人は姿勢が悪いのでそれと見分けられる」と外国人に言われたことがあるのを「まさか」と思っていました。暮れの或る日にスーパーに行ったところ、マスクだらけの中に、姿がすっきりして目立つ人がいました。外国人でした。
ふんぞり返るのはいただけませんが、前を向いていないと、見るべきものが目に入らなくなります。前の記事に挙げたいくつかの国際調査で指摘したように、どうも私たちは、私たち自身を不自然に低く評価する癖があるようです。
前を向いていないと見るべきものが目に入らなくなり、それは私たちの「違ったものに対して不寛容」な傾向からの脱皮を難しくすることになるだろうと思われます。
日本はすでに、数としてはドイツや米国などに次ぐ「移民大国」であるにもかかわらず、実態や私たちの意識には大国らしからぬところがあるとせざるを得ません。
考えてみましょう。アジア諸国からやって来る人たちは、3万年ほど前にこの列島に渡ってきた人々がそうであったように、夢と発展のエネルギーに満ちた人たちなのです。明治時代以降に、この日本国から南北アメリカ大陸に移民した人たちの多くが彼の地で成し遂げたことを想っても、同じことが言えそうです。
4 社会にぶら下がるのではなく
納得のいくように変えてゆこう
体育館まで空調が効いた環境で育てば、極寒極暑の生活を実感することは難しいでしょう。公衆便所まで水洗のある環境に育てば、乾期雨期の激しい下での生活は分かりますまい。廃棄食品世界一という社会で育てば、飢餓にあえぐ人々の苦しみを実感できますまい。ゲームやSNSなどのバーチャルな世界に浸り切っていたなら、物を作る喜びや苦しみを知らずに過ぎてしまいます。つまり、筋肉で自他を支える歓びを味わえずに終わってしまいそうです。
寒さや飢えを経験しなければいけない、と言っているのではありません。
それらが分かる感性が育っていないと、とんでもない風潮に流されて、戦線に送りこまれてから激しく後悔する羽目にもなりかねないと言っているのです。
毎年発行される内閣府の「子ども・若者白書」「少子化社会対策白書」によると、日本の若者はこのところ、自己評価が低く、社会を厳しいと受け止め、成功の保証のないことに手を染めるのを避けたがり、将来を悲観的に予測する、といった傾向が諸外国に比べて高くなっています。
「恋愛スルー」「結婚しない」といった風潮が増してきていることからも、若者を霧のように包み込む重苦しさがうかがえ、20代青年男女の70%ほどが「交際相手ない」と回答し、そのうちのおよそ40%、つまり20代全体の30%弱が、「恋人は欲しくない」と答えています。
1980年代の同様な調査と比較すると、ほとんど真逆のような意識変化であり、このようなことからも、私たち日本人の変化の速さが汲み取れます。
わずかな間に真逆のようにベクトルの方向が変わるということは、また近い将来に反転し得るということでしょう。そのきっかけとして、まさか、再びの戦争と焦土が必要なのだということではありますまい。
今の社会が重苦しいのであれば、自分たちでそれを変えられるのです。変えなければいけないのです!
私たちは、「自分がどんな社会で生きるかは、政治家と呼ばれる地盤看板を持ったプロが決めることである」と思い込んでいるところがあるのではないでしょうか。
戦後80%近くであった国政選挙の投票率は年を追って低下し、最近では50%を前後しており、これは世界の200か国中、なんと150番目あたりにランクされます。国民の半分が投票し、そのうちの半分が現在の政権を担う政党を選んでいるので、現在の日本の政策は国民の4分の1によって決定されているということになります。
日本の若者たち、ことに20代の投票率はさらに低くなっていて、33%前後に低迷しています。内向きというか、無気力というか、他人任せというか…「将来を他人に託している いい度胸だ」と感嘆する人が出てくるぐらいになっています。
それを改善するために様々な提案がなされておりますが、まとめると次のようです。
・期日前投票を広報し、不在者投票をやり易くし、投票所を増やす
・学校教育で、政治や選挙に関する授業を増やす
なるほど、いくらかの効果があるだろうと思われます。が、現行の公民教育から飛躍するには、知識を増やしただけでは起爆剤にはなりますまい。若者たちが生活している環境に密着した実践で培われたものが必要なのです。
5 「日本生徒会大賞」を
「インターハイ」「甲子園」並みに盛大にしよう
「日本生徒会大賞」というのがあることを知っていますか?
平成27年(2015)に18歳選挙権が導入されたのを契機に「一般社団法人生徒会活動支援協会」というものが設立され、平成29年(2017)から年に1度、応募した生徒会活動から優れた実践を「団体の部」「個人の部」で称えているものです。
設定されてからまだ日が浅いとはいえ、おおいに盛り上がっているわけではなさそうです。
「社会はぶら下がるものではなく、自分たちが望むように変えてゆくものだ」という参画への意欲を育てるためには、全国の「生徒会」を巻き込んだコンクールを盛り上げるのが一番の早道であるだろうと私は思います。
「スポーツ振興法」に基づいて、体育スポーツ面の競技大会が華々しく実施されているように、たとえば、高校野球が「甲子園」のために流す汗と涙の10分の1、いや100分の1でも「日本生徒会大賞」に流してくれたら、甲子園から憧れのプロ野球選手が生まれるように、颯爽とした地方議員や国会議員、起業家や社会活動家などが輩出すると思うのです。
一人のプロ野球選手が「野球好き」という土壌から誕生するのと同じように、地方創生や少子高齢化という課題にも、新鮮な視点からの実践が湧き上がってくると思うのです。
日本の今の「生徒会」は誰が見ても形骸化しています。
学生生徒は義務感で参加していて活動に関心を持たず、慣行行事を形式的に開催するに留まることが多く、顧問教師に依存的であるといいます。
昭和44年(1969)に文部科学省が通達を発し、高校での政治的活動を禁止し、生徒会の交流活動を許可制にしました。ごくごく一部の学生が極左テロ化して惹起した事件に怯えて、日本の若者を信じられなくなったのでありましょう。
その判断は真逆でした。そういう時こそ、生徒会の活動を助成し、話し合いの大切さや地方自治に参画する意義を、実社会に結び付いた形で、定着させるべきだったのです。
通達は、実に47年後の平成28年(2016)にようやく廃止されました。
カセが外れたように学生生徒の社会参画意識が覚醒されたかというと・・・先に挙げた昨今の投票率に見るとおりです。人は、つまりは期待されたとおりに育つと言われますが、日本の中・高校生は負の方向にも従順であることが分かります。
ちなみに、北欧の国政選挙の投票率は4か国を平均して、全体も若者も80%を超えるまでに保たれています。
そうした土壌として、どの国でも大切にしているものに「学校会議」といったものがあり、学校の在り様の全ては、教職員、生徒会、保護者、地域関係者が対等の立場で話し合うことで決定されているということです。
なるほど、学校の在り様を決めるということは、それを支えている地域の自治、財政、固有な文化や価値観、などの今を知ってコミットすることに違いありません。
そうした「生徒会」のそれぞれは「全国若者協議会」というような形で繋がっていますから、10代の国会議員や20代の大臣が生まれるというのも頷けるし、たとえば環境問題に対する若者たちの危機感が結集された形で「グレタ・トゥンベリ」といった少女が出てくるのでしょう。
若者たちと政治とが密着していることが、充実した福祉国家をなお若々しく前進させつつある最大の要因であると思われます。
素直に学び取って、どうしていけないのでしょう。
日本の「甲子園」にまつわる各種メディアの報道には、連日、大変なものがあります。国技「大相撲」には、公共放送NHKが年に90日を振り当てています。「日本生徒会大賞」に、せめて1日を注目すべきです。日本の将来にかかわることです。
6 まとめ
東方に小さな島国があります。
おごらず、ひるまず、どの方向にも開かれていて、特異な産物と文化と技術とを発信し、良いものは柔軟に取り入れます。なによりも、平和を大切にします。
「貿易」と「投資」で立ってゆく島国をさらに発展させ、「ブランド力世界一」の評価を維持しようとしたら、そこに住む私たち、ことに若者たちが逞しく若々しく保たれていることが必須です。
戦後、日本がしてきたことを信じましょう。それを支えてきた日本の国土と、そこに住む私たちを信じましょう。
難しく考える必要はありません。できることはやって良いのです。そのとき、次のようなやり方が私たちには合っていると思います。
・・・壮大に発想し、ゆっくりと緻密に実行する・・・
これが通用しないというのだったら、そのときは成り行きに任せましょう。そんな世界は生きるに値しません。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。
ここまで読んできました。
長編の編纂・執筆、お疲れさまでした!
目を覚まさせてくれる素晴らしい文でした。
特に日本が投資立国になっているとは露知らず、日本が向けるエネルギーは
したたかに着々と変わっているんだなと、逆に前向きにさせられました。
私もまだ30代の若輩者ですが、若者の保守化傾向(意見対立を避ける・変わりたくない・輪から出たくない)には
危機感を抱いていますが、ここまで読んできて、日本人ならきっとこの課題も乗り切っていけると、
ポジティブに考えられるようになりました。私もその一翼を担えればと思います。
今朝、久々に大地震が起こる夢と、中学時代のいじめっ子に延々と追い詰められ続ける夢を続けて見ました。
ストレスのサインだと最近わかってきました。この年になると、物事に正面からぶつかるよりも
横にそれてやり過ごす方が上手くいくこともあると学んだのです。
前章で結論として日本の資源は人、ということをおっしゃっていましたが、同感です。
近所の物知りのおばあさんが全く同じことを言っていました。
人を殺してはいけないと思います。SNSの誹謗中傷でも人は死にます。
親が子を、子が親を殺すこともあります。
生きてりゃ何とかなる、逆に言えば死んだら何にもならない。
皆が、せめて身の周りの人だけでも生きやすい世の中にしていければ、
せめて私が生を受けた意味も生まれてくるのではないかと思います。
大変長々と失礼いたしました。これからも楽しみに、またこれからのご多幸をお祈り申し上げます。
長く付き合っていただいて、まことにありがとうございます。
・・・物事に正面からぶつかるよりも、横にそれてやり過ごす方が上手くいくこともあると学んだのです・・・
・・・せめて身の周りの人だけでも生きやすい世の中にしていければ、せめて私が生を受けた意味も生まれてくるのではないかと思います・・・
おそらく貴方は、中学時代に酷いいじめに会い、大地震にもみまわれた経験がおありなのでしょうか。
それらを乗り越えて、着々と前向きに、逞しく、優しく、統合しつつあるのがよく分かります。
一層のご精進と上昇とを祈り致します。
貴方なら出来ます!難しいところは越えていますから!
これからをよろしくお願いいたします。
「生徒会大賞」に全国民が注目できる機会を設けてほしいという願い、「壮大に発想し、ゆっくりと緻密に実行する」という考え、まったく同感です。
私は公立高校の教員を退職して10年になります。現職の間はもちろん、退職後も私学勤めをしたり、公立校の非常勤を引き受けたりしながら、高校生の活動の様子には関心を保ちつづけています。その中で、生徒会活動に関しては、問題意識をもつ者がいないわけではないものの、その活動を評価し合う生徒同士の関係がどこの高校でも定着してはいないようです。教員側でも、生徒会の顧問は若手に任せる学校が多く、担当教員の奮闘や苦悩にたいする理解が不十分という面もみられます。
私自身、30代半ばまでは、三つの職場で生徒会と新聞部の顧問を引き受けていました。1970年代の後半から10数年ほどのあいだです。当時は、3無主義や軽薄短小という風潮が漂い始めたころですが、まだ時間割の中にロングタイム・ホームルームの駒があって、教員側が積極的に見守る姿勢をもてば、生徒同士が議論をためらわない気風を示してくれました。全体で検討が必要な問題があれば、代議員会や生徒総会の場でも活発な意見交換が行われました。例えば、修学旅行の是非をめぐって、一度の総会で結論が出ず、クラス討議に戻して、さらに総会が二度ほど繰りかえされる様子に立ち会ったこともあります。
振りかえると、1990年代前後あたりから、高校生の自治活動は低調になったかもしれません。原因を特定することはできませんが、ロングタイム・ホームルームの多くが進路指導や学年集会に当てられたり、わずかに生徒裁量の時間が残されても、レクレーション的な過ごし方が目立つようになりました。生徒同士が主体的に問題意識を深め合ったり議論し合う機会は、私が勤務した高校でも、少なくなる一方でした。とりわけ進学校となれば、自習でもいいかという担任もいたりしました。そのような傾向が常態化した学校では、生徒総会も予算決算の承認をする以上の機会にはならなくなります。
生徒の自治活動が自然であるためには、教科の学習活動以外の場で、生徒達が主体的に問題を論じ合う機会を学校側が用意できるかどうかが重要だとおもいます。職場にコンピューターが導入されて以降、教員は教材研究以外にも、担任や校務分掌の一員として文書作成や会議を必要とする業務を、加速的に多く抱えこむようになっています。生徒自治の重要性を認めながらも、その活動のありかたや機会を工夫してやれるゆとりを、なかなか教員は確保できないのが現状のようです。
自治活動が活発だった時代や現場を記憶する者としては、現在の教員の負担を気の毒におもいながら、せめて生徒達自身が自主的に動き始めるときには、どの学校も保護者も寛容であってほしいという気持ちでいます。
長くなりましたが、補足をひとつ。
明日のバイデン大統領の就任式では、Amanda Gormanという22歳の黒人の詩人が就任を讃える自作の詩を朗読することになっています。この女性は、小学生の時に、担当の教員に言葉の表現力を認められたのを契機に、創作に励むようになったとも言われています。いくつか紹介されている作品を読むと、自分の周辺や自分自身に希望をもてるようにする姿勢を大切にしている女性のようです。世界で最も殺人事件が多い国でありながら、希望を手放さない言葉の表現力をもつ若者を、学校や地域が理解し評価し合っている国でもあるアメリカが少しだけ羨ましく感じられます。
毎回、緻密に読んでいただき、濃く対応していただいております。誠にありがとうございます。
・・・問題意識をもつ者がいないわけではないものの、その活動を評価し合う生徒同士の関係がどこの高校でも定着してはいないようです。教員側でも、生徒会の顧問は若手に任せる学校が多く・・・担当教員の奮闘や苦悩にたいする理解が不十分という面もみられます・・・せめて生徒達自身が自主的に動き始めるときには、どの学校も保護者も寛容であってほしいという気持ちでいます・・・
現場のご苦労が良く分かります。生徒と教員と保護者と、三者三つ巴になって空転してしまっているのでしょうか。これがコンピューターが行き渡ってから加速されたとすれば、つまりケイタイによるSNSが盛んになってきた頃からだとすれば、日本語の特性であると思われる”私(I)という主語”抜きの語法が猛威を振るうようになったのかなあと思ったりもします。SNSで主語抜きの批判を突き付けられたら、世間からそのように取られているとして、普通はビビッてしまいますよね。PTAでのすくみ合いの凄さについてはよく聞かされます。日本語をどうにかできるのでしょうか。
生徒会での活動ぶりを受験に反映できる方法を考える方が、これも公正な評価が難しいのでしょうが、日本語を変えようとするよりも実現性は高いのではないかと思ったりもします。保護者も俄然、前向きになりますしね。
Amandaさん詩の朗読を見過ごしてしまいました。就任式はNHKのニュースでほんのサワリを見ただけでした。Martin Luther King師の″I have a dream”は後になって読めましたが、そうあってほしいものです。
ご健勝を祈り致します。