この記事は「日本と北欧と世界 日本だってやれるぞ!」を下のように分割したものの、そのⅥです。
そのⅠ ある中年カップルとの会話
そのⅡ 自然災害と天然資源
そのⅢ 来た道 似たところと違うところ
そのⅣ 自然との向き合い方について
そのⅤ デザインについて
そのⅥ 世界の目と自身の目
そのⅦ 日本の今の豊かさ 「貿易立国」から「投資立国」へ
そのⅧ なぜ日本は「最高の国ベスト3」に入るのか
そのⅨ 北欧よりも日本にあるもの
そのⅩ 私の精一杯の提言
そのⅥ 世界の目と自身の目
幸福度ランキング
自然災害、天然資源、それらとの向き合い方などについて、これまで見てきました。北欧は自然や資源に恵まれており、それらを活用して見事な成果を上げています!
毎年3月に発表される国連の「世界幸福度調査」2020年版によれば、156か国中、1位フィンランド、2位デンマーク、5位ノルウェー、7位スウェーデンと、北欧4国はすべてトップクラスにランクされています。
この調査は、各国の都市の住民に対する質問によるもので、「生活の質や人生の満足度」を主観的に0〜10で評価してもらい、それを、①一人当たりGDP②社会福祉などの社会的支援③健康寿命④人生を選択する自由度⑤他者への寛容さ⑥国や社会への信頼度の6項目で修正して数値化したものです。
北欧の国々は、社会保障など国や地域の社会環境の良さに加え、国や社会に対する信頼度がいずれ劣らずに高く、国民はそれらを自分たちが築いているのだと自負しており、これらがいわゆる幸福度を高めているのだと要約できます。
北欧が到達しているところ
北欧4か国、つまり世界で最も幸せだとする国々は、少し具体的には次のような生き方を選択しています。修正資本主義の先達として、学ぶべきところがあります。①高福祉高負担という仕組み
福祉の水準は、たとえばシングルマザーが子育てをしながら学生生活を送ることができ、一応の住宅に住んでお洒落もできるというところまで達している。税負担は大きいけれども、それはなぜ必要なのか、何に使うか、ということを国民が決定し納得している。
②みんな平等に、そこそこに、今あるものを楽しむという生活哲学
税が累進的に高いので格差が生じ難い。みんなが一緒に楽しく暮らせるのを目標に、デンマークではHygge(ヒュッゲ:安らぎ)、スウェーデンではLagom(ラーゴム:そこそこに自分にちょうど良く)ということが合言葉のように大切にされている。どちらも、日常生活の中に小さな幸せをちりばめようという姿勢。
③自然に親しむ
暗く長い冬を過ごすせいか、むさぼるように日の光を求める。どの国も夏に長期休暇を取れるように設定して、積極的に自然の中に入り込もうとする。
④社会への信頼度が高い
低学年から社会への参画教育が重要視され、中高等学校の生徒会活動が隆盛。若者の選挙投票率は非常に高く、日本の同年輩のそれの3倍近くにも達する。10代の国会議員、20代の大臣が居る。社会のありようは自分たちが決定するという意識が盛んで、クリーン度が高い。
寛容性 日本の課題?
日本の順位はどうかというと、156か国中、残念ながら62位です。しかも年毎に順位を下げています。
順位を下げている要因には明らかな特徴があります。
一人当たりGDP・社会福祉・健康寿命など数字で測定できる項目では立派に上位にランクされるのですが、「あなたは人生に満足していますか」「昨日は幸せでしたか」といった主観的な評価が低く出るのです。
それと、「他者への寛容さ」という項目の評点(92位)が著しく低く、これが重石になって順位を更に押し下げています。この調査での「寛容さ」というものは、「過去1ヶ月の間にチャリティーなどに寄付したことがありますか」と尋ね、Yesと答えた人の率を一人当たりGDPとの比較によって算出されています。日本の社会では寄付という習慣が一般的でないせいか寄附をする人の率は低く、一方でGDPは高いので、自分とは異なる存在に対する許容度は低い、つまり偏狭でケチだとされるような数値が出てしまっています。ちょっと首を傾げたくなるような測定法ですが、日本の社会はたしかに、多様性を認めにくいところがあるというのは認めざるを得ないと思います。
私たち日本人は、自分にも他人にも厳しく、気難しく、軽々とはボランティア活動や支援運動などに参画しないという傾向があることを示しています。
私たちには、よく言えば慎重で控え目、悪く言えば取りこし苦労症のところがあり、「自分を省みてからものを言いなさい」「成功が保証されていないものには手を出してはいけません」といった性癖があるのでしょう。
これで思い出したことがあります。高校生だったすぐ上の兄が国連のユネスコだったかに寄付をしたことがありました。自分の小遣いの中らのことでしたが、それを知った父に「そんなことができる立場か!」とひどく叱りつけられたものでした。
別の調査でも、こうした傾向がはっきり出ている例があります。同じく国連の調査によると、日本は主要国中で最も犯罪の少ない国であり、年毎に安全な国としての実績をさらに高めつつあるにもかかわらず、国民が体感として治安に不安を感じている率はもっとも高いレベルにあります。ちなみに北欧諸国を見ると、犯罪率は明らかに日本よりも高いのですが、これに不安を感じている人はぐんと低いのです(社会実情データ図録2788)。
私自身も外国から来た人に、「日本人は嘘つきか」と言われたことがあります。「どういうことか」と多少気色ばんで尋ねますと、「多くの人が治安は悪くなるばかりだと言う。そのくせ、空港で荷物をその辺に置いたままで土産物を買いに行く。列車の中でも座席にバックを置いたままでトイレに立つ。言うこととすることが違うではないか」との観察。「日本の文化には、初対面の人にはまず卑下して見せるというのがあるかも」と続けると、「だから、日本でのビジネスはやり難い」とぼやいていました。このあたり少し複雑です。
自殺ランキングについて
「世界の自殺率ランキング(WHO・人口10万人当たりの自殺者数・2016年)」というものがあります。
1位 ロシア31人、2位 韓国27人が突出しており、ずらずらとさがって日本も7位19人と並びますが、フィンランド16人、スウェーデン15人、デンマーク13人、ノルウェー12人 ・・・北欧4か国平均14人・・・と北欧が高いのが、どうしたことかとしばしば取り沙汰されます。ちなみに、世界の平均は10万人当たり11人です。
ロシアと韓国と日本については、分かりやすいと思います。
ロシアについてはアルコール消費量との関連が言われています。一般に北方の国は、冬の暗さと寒さが自殺の多さに関係があるとされ、ことにロシアでは永久凍土といった環境にもかなりの人が住んでおり、体内でアルコールを燃やして身体を守る必要があることが多いために、少し油断するとアルコール依存症に移行しやすいのだとされます。アルコール依存症は速い速度で心身を疲弊させます。
韓国人と日本人は、ともに頑張り屋で疲れにくいといった特性を持った民族ですが、ことに現在の韓国は、苛烈な受験競争というフルイで、10代の終わりごろに若者たちを選別してしまうところがあり、網の目に掛かれなかった若者たちは絶望に陥ってしまうのだと見られています。
日本人の生真面目さが「恥の文化」と結びつくとどうなるかを考えれば、この国の自殺率の高さも頷けるような気がします。先に挙げた「幸福度」の順位(156か国中62位)が低いことと対応するもので、矛盾はありません。
北欧の自殺率が高いのは 高福祉国の重い代償?
一方、北欧の国々は「幸福度」のトップを謳歌しているにもかかわらず、自殺率が低くはありません。世界が北欧を高く評価しており、北欧の人々も自分たちの社会を高く評価しているにもかかわらず、自殺率が高いのはどういうことなのでしょう。陰鬱で長い冬のせいだとするのがおおかたの説明ですが、それだけで済むのでしょうか。
北欧の人々のほとんどが自分は幸せだと感じているとしても、中にはそうではない人も居るはずです。
周囲がお茶をし合ったり、パーティーに呼び合ったり、連れ立ってアウトドアに出かけたり、さまざまなサークルに参加したりと、HyggeやLagomを合言葉にみんなで活動する・・・そんなことが苦手な人たちです。人との関わりを苦痛と感じる人は必ず居るのです。
周囲が前向きで幸せであるほど、浮き上がってしまった人たちは次のような圧力を強く受け続けることになりましょう。
・普通に学校に行きましょう →機会は均等に用意されています。普通に勉強していれば、手厚い援助を受けられます。
・普通に働きましょう →しゃかりきに頑張ることはないですが、普通に働いてもらわないと社会が保ちません。
・普通に税金を払いましょう →これこそが助け合いと福祉の基盤です。
・普通に子供を産みましょう →子供は私たちの未来です。
・普通に幸せになりましょう →みんな平等なのです。それぞれに今あるものに感謝して幸せになりましょう。
・普通に素直になりましょう →これらのことがどうしても出来ない人は社会に助けを求めても良いのです。私たちの社会はそのぐらいの寛容さを備えています。
周囲や社会がクリアで隙がないほど、苦心してもそこから浮き上がってしまう人にとっては居心地が悪く、自己卑小感や自己嫌悪感を高めることになるでしょう。周囲に不始末を押し付けられず、自分への言い訳が効きませんから。
「そうですか、では甘えさせていただいて・・・」というふうに弾力的に応えられる人は、そもそも周囲から浮き上がりません。
日本人がそうであるように、北欧の人々も生真面目なのでしょう。10万人中14人(北欧4か国平均)が、ついに死を選択するに至るというのは、私にはそれほど不可解な数字ではありません。高福祉社会が進展すればするほど、より多くの人が幸せになれるものの、その枠から外れる人が必ずいるのです。そうした中に天才が潜んでいたりするのでしょうが、人というものが逃れられない宿命であるだろうと思うのです。
まとめ
私たち日本人は、数値で測定される評価では高得点を得るものの、主観的な評価では低い得点を示す傾向があり、そのために同じ調査結果の中にも奇妙な捻じれを見ることがあります。主観と客観とがアンバランスなのです。シャイで控え目で完全主義という独特な国民性が、このようなことにも表れるとすべきでしょう。
ただ、国連による「知的スキル」テスト(読解力・数的思考力)ではOECD24か国で日本の成人はトップの成績であり、しかも、高得点層と低得点層との差が際立って小さいという特性がある(社会実情データ図録3936・3936a)ことは弁えていて良いと思うのです。知的能力から見れば、この国の社会は高いレベルの均一性を保っているのです。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。