関東医療少年院の役割
「・・・非行の重大性等により、少年の持つ問題性が極めて複雑・深刻であるためその矯正と社会復帰を図る上で特別の処遇を長期に必要とし、医療の介入が一義的に重要と判断される事案・・・」
関東医療少年院はそのような特殊な事案にかかわり続けてきた。平成10年(神戸事件後)から同16年(筆者退官直前)までの7年間に限っても、そのうちでも際立って特異な対象のおよそ20例を他の少年たちに混じえて治療教育した。この期間を中心にして(この期間を外れている例もある)、筆者の印象に刻まれている事例のいくつかを挙げてみる。比較的スムースに社会復帰を果たせたものがほとんどで、この7年間の事案に限れば、今のところ、前回と近しい犯罪を再発させたという情報を得ていない。
事例をまとめるにあったっては、プライバシーの保護のために、氏名、年齢、日時、場所などを伏せ、内容についても要点が保たれるぎりぎりのところまで改変した。そうしたからといって、本人の同意を得ることが不要となるわけでは原則ないが、それぞれに保護処分を終了した身分には、矯正側から連絡を取ろうとするのは不可であり、ついで、ここに事例として挙げるのは、少年たちが「自他への信頼の回復」ということに如何に苦しんで努力したかという実際を、敬意をもって報告したいからである。少年たちは変化し得るということを、少しでも多くの人に知ってほしいからである。本人が目を通すことがあったにしても、私どもの間に不信が生まれることはないと信じている。
近く成人年齢が引き下げられることにともなって、18・19歳の年長非行少年たちは原則として保護的な処遇を受ける機会が得られないことになる。保護的な対応が第一義とであると判断された事案については、そのような処遇の選択ができるようにしてもらいたいと筆者は強く願っている。
事例1 〇〇歳 男子 殺人 診断「愛着障害」
ポイント 1 父親の酒乱がもたらした劣悪な成育環境。いじめ。
2 処遇を通して、質の良い地が見えてきた。
父は酒乱。冬の夜更け、裸足のまま家から逃げ出した幼い少年が雪の上で足踏みしているのがしばしば見かけられた。顔を伏せて激しく震えていた。小学校では「着たきりスズメ」「臭い臭い」といじめられた。対抗して椅子などを投げつけたことがある。不思議に学校を休むことはなく、教師に「ふだん陰気であるが、独特のユーモアを見せることがあり、素質として優れたところがあるのではないか」と観察されている。
中学時、両親が離婚し、父が家を出た。ty卒業後、大工見習いの仕事をもらったときは、休むことなく現場に通い、大工道具を一つ二つと買い揃え、先輩たちに笑顔を見せるようになった。けれど、弁当をひとり離れて食べる、せこい、付き合いが悪い、というようなことが重なって、仕事仲間たちとの間が次第にしっくり行かなくなった。そのころ、家で「父親に似て、いつもびくついている子だ」と母親に言われて、母に暴力を振るったことがある。
「自分が嘲われるのは間違って育てられたからである。めったなことでは子どもを生むものではないと、みんなに警告する義務がある」と思い詰めるようになり、ある夕「大切な話があるから」と離別している父を家に呼び寄せ、泥酔するのを見計らって包丁で刺した。父親は絶命。自分もあとを追おうとしたが腰が抜けたようになり、手首に切りつけただけに終わった。自分で110番した。
「行為障害(当時の表記)」ということで医療少年院に送られてきたときには、不機嫌な抑うつ状態で表情も硬く、精神病さえ疑われた。
仲間と同じ三度三度の食べ物、同じ下着と季節ごとの同じ作業衣や室内着、同じ学習帳・日記帳等の文具が与えられる・・・。少年にとっては特別の意味を持つ体験であり、これのみで感動であったらしい。基本的な生活や役割活動を覚え終えたころ、およそ10ヵ月後のこと、心を通わせ始めた担任の教官との「交換日記」に次のように表現した。
・・・ぼくは人を信用するどころか、恐怖しています。夏祭りの日。父がめずらしく100円玉を1個くれたことがあります。ぼくは父の周りを飛び跳ねて見せました。その夜、隣の部屋でぶつぶつ言っている父の独り言が聞こえました。酒を飲んで寝るときの癖でした。「あればっかりのことで見え透いたことしやがって、あいつは。ろくなもんにならんな」。
まったく、見え透いた御機嫌とりをして、そのいやらしさをあの父に見て取られたのです。父が恐ろしく、憎らしく、いちばんに自分が情けなくて、ぼくは布団の中で汗びっしょりになって息を潜めていました。
今もそうです。人の大声を聞いただけで、まるで自分が叱られたようにビクリとして、心臓がドキンドキンします。なんとかしなければいけないことです。必死になってやります・・・
山あり谷あり、3年数ヶ月を「必死になって」過ごして仮退院していった。小さな土木業を営む会社に住み込みさせてもらって仕事をしている。そこの社長が担当の保護司を引き受けてくれていて、さっぱりした人柄だという。
事例2 〇〇歳 男子 放火・傷害 診断「早幼児期脳障害」
ポイント 1 早幼児期に生じた脳器質性障害の存在。
2 起伏の乏しい処遇経過をたどったが、なぜか予後は良好。
非常な難産、仮死状態で生まれた。幼少時から粗暴、残忍、女性下着窃盗、火遊び、怪我などの異常な行動が目立ち、近所の人たちから「狂犬」といわれていた。特殊学級に籍を置いていたが、まともに教育を受けられる状態ではなかった。精神病院に入院したことがある。
医療少年院に入院してからの観察でも、少年の本質的特徴はその脱抑制と多動、衝動性と粗暴傾向、不注意であり、要素的な知能は悪くないものであるにもかかわらず、それらが統合されていないところにあるとされ、脳波の異常と脳室の拡大と左右差が認められたことからも、基礎に早期の脳障害があると考えられた。
医療少年院では、対象者がさまざまな刺激に対してどのように反応し得るかを知るために、「分析的心理劇」を応用することがある。少年にも計33回のセッションが施された。
予想されていたことではあるが、少年は他の少年が提示するストーリーにまともに乗ることができず、勝手に露店の叩き売りのような独演に入ってしまうのがほとんどで、そうなると場を乱すばかりであった。処遇は長期にわたったにもかかわらず、起伏の乏しい経過をたどったと言わざるを得なかった。
いやに淡々と仮退院して行ったことでもあり、予後が危ぶまれたが、1年ほどのちに少年院を訪れ、某検察庁関係の食堂の手伝いを元気にやっているのだということであった。
脳の障害そのものからもたらされる一次的な症状も、二次的に必ず生ずる劣等感や不適応感からの歪みも、加齢による成長も加わってじりじりと修正されていたのであろう。それにしても、なにがどのように功を奏したものやら、つかみどころのはっきりしないケースである。
事例3 ○○歳 男子 殺人・強姦致傷 診断「発達障害・二次障害」
ポイント 1 犯行様態・診断などからは、予想をしなかった大きな変化を早く から示した。
2 劣悪な環境が与えるものを、あらためて考えさせられるケース。
父母ともに大酒家。父は少年が幼少時に肝障害で死亡。街中をはずれ、電灯線も引かれていないバラックに万年床というすさまじい環境で育った。小・中学校を通していじめられっ子。普段テレビさえ見ないから、まるで異星人のようであった。
例外のように親しくしてくれていた近所の主婦に母親を悪く言われたのを強く恨み、しかえしをしてやろうと出向いたところ、2歳になる同女の男児がじゃれついて来て離れないので先ずこの児を絞め殺し、次いでその母を強姦致傷に至らしめた。
活気なく小声、平板な語り口。不機嫌で返答に時間がかかり内容も単調。むごい犯罪に見合うような冷情性が前面にうかがえるようであった。知能は正常域。脳波に軽度の異常が認められたことからも脳機能障害が想定され、発達障害が絡んでいるとされた。
おそらく何事が起ころうと、深い情感の動きを示さないであろうと予想されたが、見極めの意味から心理劇に加えてみることにされた。当初の3回はほぼ予想どおり、消極的、警戒的、停滞気味に経過した。ただ、電話の掛け方があいまい、電車の切符の買い方を知らないなど、社会的常識が著しく遅れていることが仲間の前に露呈したとき、それを非常に恥じる場面が数度みられた。
4回目になって自分がテーマを出した。
・・・母子2人暮らしの少年がぐれだす。仲間と口喧嘩をして頭に来た少年は、相手を刺し殺して家に逃げて帰る。母が事情を聞いても黙りこくっている。そこへ刑事が来て警察に連れていかれる。少年院に送られるが、反抗するばかりである。面会に来る親にも、心では悪いと思っているのだが、黙っている・・・
あきらかに少年自身の問題であり、この話をする少年の声はかすれ、肩が震えている。主人公を自ら選ぶが、演技となると滞りがち。しかし一所懸命であった。事件を自分の問題として考えようとする姿勢の現われとして、治療者側は歓迎した。
このころから院内生活に張りを見せるようになり、生育環境からであろう未熟性に悩みながらも、室長、寮委員などを熱心に務め、適応力を増そうとする姿勢が続くようになった。日記にも、正直で素朴な考えや疑問が述べられてある。
しかしいかにも脆く、意気込んで他人に働きかけたことが少しでもあやうくされると、非常な羞恥、動揺、戸惑いを見せて引き込んでしまうことがまま有った。心理劇においてはこれがなお端的に観察され、テーマを数多く準備するのであるが、実際の演技となると緊張し、一変たどたどしくなってしまって、見るものをはらはらさせることが繰り返された。
仲間から信頼されるようになり、母に対する両価的な感情も相当に整理され、怜情者にしばしば観られる「けして後悔せず、動揺しない」ありようとは別人のようになって、不安を抱きながらも緊張して社会に帰っていった。被害者側との話し合いの内容に沿いながら、自動車整備工として過ごしている。
事例4 ○○歳 男子 殺人 診断「発達障害」
ポイント 1 生来性とされる対人関係の不器用さがあり、強くこだわる。
生真面目な透明感が感じられ、他人を操作しようなどとする
ところがない。
2 形から入り、徐々に情緒的な場面に曝して治療教育すること
により、大きな改善を見ることができた。
幼少時から独りで過ごす時間の多い、物腰の静かな、育てやすい子であった。小学校のころから、傍からはそれほどとも思われないことにこだわって考え続け、何事につけ、右か左、黒か白かに割り切りたがった。物事には灰色の部分があるという弾力的な考え方を受け入れられない様子で、あいまいななかでは居心地がわるかったらしい。自分の基準に合わないものは切り捨てていってしまうという、機械のようなパターンがあった。
小学校高学年になると「生命とはどういうものか」と普通でなくこだわり、「死とはどういうことか」「人の命と虫の生命に違いはあるのか」、そして数年のうちに、「殺すとはどういうことか」と発展し、繰り返し、ほとんど自分の中だけで論議を蒸しかえしては醗酵させることになった。
中・高校をつうじて学業成績は良く、ことに理数系が得意だった。勉強の仕方も独特で、家ではまったく勉強せず、授業中も課程の進行に関係なくマイペースであり、校内の定期試験ではさほどふるわなかったが、大きな模擬試験では優秀な成績を示した。
部活動や役割には不器用であったが熱心に取り組み、うまく泳いで得をしようとか、自分に有利に動かそうとか、べたついたところ、功利的ところは少しもなかった。幾何学を演習するように活動し、同級生に「大真面目だけどおかしなやつだ」「禅宗の坊さんみたく一刀両断したがる」「いったん話すとなると、ギリギリ理屈で押してくる」「興奮したり、うろたえたりしたことを見たことがない」といった風に評判されていた。嫌われてはいなかったが、親友もいなかった。
大学進学を意識するようになるころから、小学時以来の「生と死」へのこだわりに回帰して、どうどう巡りを始め、ついに「この世は生きるに値しない」「自分にとって価値のないものは、他人にとっても同じであるはずだ」という飛躍をしてしまった。日常生活の流れがふと止まったときに、たたらを踏むように、「自分にも他人にも、虫と同じ生命」を今こそ実感すべく、行き着くところは死刑であるはずだと承知しつつも、殺人(面識のない一主婦)を断行した。保護者も同級生も近隣の人も、少年がそれほどまでに思い詰めていることを、ついぞ気付けなかった。
「少年の障害は生来性で生涯続くものであり、にわかに情緒的共感的なものを期待することは、足し算引き算のできない子どもに二次方程式を解けと要求するようなものである」という精神鑑定医などのコメントとともに医療少年院に入院してきた。
入院したとはいえ、少年の24時間は待ったなしに経過する。とりあえずのつもりで、次のような処遇のおおまかな方針が想定された。
・ いきなり「心」や「情感」から入ってはならない。行き違うばかりで空転
する。規則正しい日課にはなじむと思われるので、淡々と近づく。
・ 基本的な生活習慣を押さえ、一緒に汗を流す体験を大切にし、ゆっくりと
集団生活、全体日課、共同制作、係り活動、寮委員などを経験させ、情緒
が左右する体験場面を広げてゆく。
・ 共同生活の中には、他と情感のレベルで対応しなければならない場面が必
ず生じる。そのずれを観る。小さなことでも「日記」のコメント欄などに
取り上げ、少年自身の感じ方を引き出すようにする。
・ 「月命日日課」「法要」「服喪日課」などをきちんと課し、感想を求め
る。一定の時をおいて、かつて自分が抱いた感想や考え方を振り返らせ
る。
・ 進捗により、全体行事の調整を経験させる。「クリスマス会」や「保護者
会」の寮のまとめ役など。
・ 面会や通信を通じ、保護者との関係を明らかにしてゆく。
・ 少年の言動を個別担任がまとめ、ミーティングの中心的な資料とする。
何年か後になって方針を振り返ってみて、流れとしてはあまり付け加えることがないのに実は驚ろかされた。基本どおりに、あまり曲折なく整斉と進むところが「発達障害的なんだなあ」と思われたほどである。ごく要約して、動きを点描してみる。
非行論、生命論、読書論、施設論などが長くノートに書かれ続けた。肯定するか否定するか、二者択一的に断定するところが目立った。分析の対象が、ようやく自分のことに近づいてきたのは1年ほどを経てからである。
・・・自分を、プログラミングされた機械のようだと思うことがある。目的が変化しなければスイッチの入ったままに延々と続けてしまう。ふしぎに他人は、そういう惰性からだけの行動をなにか高邁な意味があるように取ってしまうところがあるが、実は自分がいちばん狼狽するのは、「これから一時間、なんでも好きなことをやってごらん」と言われることである。機械にとってはこれは困る。・・・さて、これをどうすれば良いかというと・・・
分析はいいのだが、それらを修正するための更なるプログラムをプログラミングしてしまう。
けれどやがて、小さな小さな「情」の面での気付きを重ねられるようになった。たとえば、当番が部屋まで持ってきてくれた洗濯物を無言のままで受け取り、それをそのまま、自分のベッドの上にポイと投げ出したことについて、居合わせた教官に「洗って区分けして、届けてくれた人に失礼ではないのか」と指摘されて
・・・いままでまるで気付かなかったことだ。自分の無神経さをあらためて思い知った・・・
また、サイコドラマで。物語も作ってこなかった少年にそっと近づき「次は物語を作ってきてください」と声を掛けた。しかしその後、相手がさらに消極的になってしまったのを見て
・・・出すぎた言葉だったように思われる。もっと考えてしゃべれるようになりたい・・・
夕食後、相手が普通にやっているのを見て安堵していた。このようなことを反復し、たしかめては積み上げることができるようになった。
およそ3年目に「白鯨」を読み返して
・・・まえに自分が書いた感想文を読み返してみて、その偏屈さにあきれた。あんなふうに考えていたのかとなんだか奇妙な気持ちだ・・・
ようやく犯行との直面がはじまった。事件前後のことについて
・・・めぐまれて育ちはしたが、なにかを大切にすることを知らない人間だった。だれかを幸せにすることなどは考えることすらできない人間だった。人生は難しく思え、無能な自分に出る幕はないように思えた・・・ビデオなどの映像に刺激されたこともあり、生きていることを証明するように人殺しをして暴れまわる自分を空想するようになったが、いちばん血祭りに上げたかったのはなんといっても自分の身体で・・・捕まって死刑、そして地獄行きという終わりを考えていた・・・人との付き合いも、甘えも借りも作らない薄情なものにしてきた。冷血で人でなしでいなければならないと思うばかりだった・・・人殺しになれないと考えるのが怖くて、焦るように、〇〇さんの命を奪ってしまった・・・
内省も深まりを加えてゆき、成長への助走がはじまった。幾度目かのクリスマス会のあとで
・・・3・4階のキャプテンとしてやってきたが、感動した。寮の役に立つということは絶対に嬉しいことだ。反省会で先生に慰労されて泣きそうになったが、本当にうれしかったのだから、もっと素直に涙を流せばよかった・・・
仲間と職員から信頼を寄せられることは寮内一番であり、安定した情感を介した人との交流が育ちつつあるのが感じられた。構えを柔らかくして、毎日のように新しい気付きを発見し、成長を重ねることができた。表情や仕草にも若者らしいやわらかさが増してきていた。
事例5 ○○歳 女子 傷害 診断「境界性パーソナリティー障害(主)」
ポイント 1 感情と自己評価の著しい不安定とその表出の激しさ。
2 保護者を取り込んで、家族という単位では見るべき進展があ
った。
姉が4歳、少女が0歳のときに両親が離婚した。母がおんな手ひとつで2人を育てたが、どうしても赤ん坊の世話が不足しがちになった。姉は安定して成長したという。次女の方はおどおどとうかがうように親を見上げる。疲れ切っていた母はその表情に苛立ち、つい手を上げることがあった。少女の混乱は増し、同級生になんとなくうとまれていると感じ取られるようになってからは、いよいよ不安定で暗く、しばしば爆発するようになった。本件は小さないさかいから、本来は慕っていた姉を包丁で刺して重症を与えたもの。
医療少年院に入院した即日に「愛情欲求が強烈でさびしがり屋。一方でプライド高く、不信感が大きい」と教官に観察された。職員を呼び止めて、いきなり個人的にひどく踏み込んだ打ち明け話を聞いてもらいたがり、その場に居てもらいたがる。「他の人にしてやらなければならないことがある。きっとまた来るから待っているように」という中断が通用しない。一転、罵詈雑言。つづいてガラスの破れる音。響き渡る悲鳴。血が廊下に飛び散る。暴言、自傷、物品破損、建造物と設備の破壊、他少年と職員に対する暴行、自殺企図。これらが交じり合って延々と繰り返えされた。
職員は疲れた。女子寮の主任教官が胃潰瘍になってしまったほどである。
「振り回しに乗らないように適度な距離を保ち、応じられないことははっきりと示し、ひとつでも良い反応をみたら、そのときこそ付き合ってモチベーションと自信を高める」
こうした方針を立てるのは容易であるが、さまざまに工夫された1対1の単独日課にも載せられず、発展の見られない事態を前に、空回り感が濃く漂いはじめる。
自殺企図なりの程度がエスカレートすると、適度な距離を保つどころではなく、そのたびに当直職員なりがフルスロットルで跳びはねなければならない。いやもおうもなく操作されざるを得ず、スタート地点をさらに後退させたところから再出発しなければならない。しかもこうした傾向を持つ少年は一人だけが在院しているわけではないので、本来、治療的でなければならない寮全体を不安定にしてしまう。かつて社会の病院で、医者のメガネを素早く掴みとってこわし、「勝利のコレクション」にしていたというような少年の武勇伝は、ちょっとしたブラックユーモアになってしまった。
本人が低迷しているのなら、ようやく、保護者にさらに働きかけて「家族という単位」を動かすことを試みてみることになった。母親の面会を多く長くし、母と子をいっしょに日課にいざない、互いに相手に抱いている混乱した気持ちを見つめなおすように助言した。
これが思いがけない展開をみせ、やがて本件の被害者である姉自身も来院するようになった。母、姉、少年、教官の4人でまさぐりつつ、緊迫することはあったが、ようやく安定した時間を共有しはじめた。面談のあと、手紙をやり取りさせることで情感の定着をはかった。
寮内での少年の行動パターンがゆっくりと穏やかさを増し、なお時に大泣きすることなどがあったが、役割活動などをきちんとこなし、2年間が終わるころから一方的な要求や反則は終息した。「すくなくとも、母と姉には大切に思われて待たれている」と実感つつあることによるとされた。
少年を迎える家族のフレームが丈夫になったことに今後を託して、やがて仮退院の手続きがとられた。かつて、何年間にも及んだ入院生活の荒れは、教官たちを、つまり人というものを試すために必要だったのだと要約された。
事例6 ○○歳 男子 往来危険罪 診断「妄想性人格障害」「直観像資質」
ポイント 1 不信、敵、復讐という堂々めぐり。
2 知能と才能を活かせず、自己抹殺という転帰をたどった。
幼児期に鼻炎とアトピー性皮膚炎をわずらい、加えて小太りで動きが不器用だった。父の転勤にともなう転校の先々で、いじめの対象となり続け、家にこもってパソコン向かう時間が長かった。
小学校4年生のとき、プールで溺れそうになった際に皆から嘲笑されたことがあってから、「周囲はすべて敵であり、復讐されるべきである」と思い込みを強めたという。小学6年時、水泳大会が催されている日に、「プールの管理室に爆発物を仕掛けた」という電話を入れた。日ごろ自分をいじめている児童たちがあたふたと避難する有様を遠くから見て、電話一本の威力に目覚めてしまった。
不思議な才能を持っていた。東京駅や新宿駅はもちろんのこと、全国の主だった駅の構造が地下何層にもわたって立体的に頭に入っている。目の前で紙に書かせてみて驚かされたことがある。どこそこの駅はどこそこの鉄道警察隊分駐所の管轄であり、どこそこの警察署のなんという派出所がともにカバーしている。ある駅にトラブルが発生した場合、警察官が現場に到着する時間を、何分と何秒という単位で計算していた。
そういう情報を巧みに交えつつ「現在〇番線に待機中の〇〇時発の〇〇号列車、〇○両目車両に、このような爆発物を仕掛けた」といった電話には迫力があった。少年のために何本もの在来線や新幹線が遅れ、それを利用しようとしていた人々の物心に与えた損害は計り知れない。
レコーディングに成功した電話があつまりだし、内容の特徴を検討され、声紋を照合され、やがて逮捕された。大部分の犯行を認めたが、一部のものについては頑強に否定した。これはおそらく嘘ではなかったであろう。
院内生活はだらしなく、同僚少年たちに、動作の鈍さをとりわけ嗤われていた。自分が為したこと、為さねばならないことは考えない。「朝から晩まで、何事も不当に理不尽にやらされる」と捉えて不機嫌にもだえ続けていた。実際、太目の身体をトドのようにくねらせて苛立っていることがあった。「頑張れよ」と肩を叩かれることが少年にとっては暴行を受けたことになった。何月何日、どこで、B少年は自分に損害を与え、C教官がD少年にこういう仕打ちをし、E教官はF少年に不当な扱いをしたというようなことを、紙に書くのではなく、頭の中に記録し続けた。
ようやく出院すると、それらを一覧表に並べて告発した。もっともらしく見えたに違いない。施設の教官が順番で地方検察庁に呼び出されて事情を聞かれることになった。まったくの無意味ではなかったであろう。結果として事実無根とされたこうした作業が続いている間、およそ9か月間、少年の犯行は鳴りをひそめていたからである。少年なりにとりあえずの、復讐心なりが満たされていたと思われる。
ふたたび全国の駅や港で電話が鳴りはじめる。比較的短期間で逮捕され、帰住地の事情から別の医療少年院に託された。少年は再び自分の居所のない状況にみずからを置くことになった。「自他を信頼すること」という一点に少年の思いを向けようという様々な働き掛けは全て空転した。少年は苦しがった。個室での生活を選んでいたが、ついに或る夜、首を吊って死んだ。
学習机の中に、一枚の紙片が残されていた。「私の経歴」とあり、筆圧強く書き込まれていた。
・・・24歳、〇〇大学法学部卒業、司法試験合格。〇〇歳、〇〇省に入省。(以下おなじように歳と省庁をはっきり入れ)・・・課長・・・参事官・・・審議官・・・局長・・・次官・・・衆議院議員・・・国務大臣・・・国家公安委員会委員・・・国家公安委員会委員長・・・
「経歴」という本来は過去のものに、将来の夢を託した男であった。
この障害の基本にあるものは、「人は信用できない」とする強い思い込みであるが、悲惨なことに、信用できないうちには自分自身も含まれてしまっていた。裏切りに対して素早く徹底的に反撃できるように、この性格者は自分の方からの一方的な見通しの良さを求めるので、自然に権力の階段を上るようになりがちである。権力を握ったとなると、それが揺るがされるのを恐怖し、恐ろしい締め付けをする一方、自分への忠誠を渇望しながらも猜疑することをやめられず、七点八倒のうえ滅んでゆくことが多い。このテーマは、文芸作品や舞台などで繰り返し取り上げられている。
この事案の処遇に当たっては、権力を志向する少年のペースに巻き込まれずに淡々と接し、正面衝突を避け、室長や寮長、ひいては保護者会などの全体行事の実行委委員などを経験させることから、人と人とのつながりの程の良さをゆっくりと学んでくれるようにと計画したが、それらの働き掛けが匂い立つかという段階から、少年は自分を陥れるたくらみと受け取ってしまい、何年もかかって不器用な室長を務めることがやっとのことであった。全国の主要な駅の構造が、なんなく頭脳に取り込まれているなどということは並みの能力ではないであろう。悔やまれる事例である。
事例7 ○○歳 女子 放火・殺人 診断「愛着障害・先天性股関節脱臼・熱傷
後瘢痕・上下臼歯部骨性癒合による開口不能症・慢性中耳炎」
ポイント 1 耐えがたい虐待を続けてきた父親に対する清算。
2 加害者であることを超えて、まず被害者である。
重度の先天性股関節脱臼で生まれたが放置された。幼児期に父親に熱湯を掛けられ、四肢に縦横にひきつれた大きな瘢痕を残した。姿勢の歪みと瘢痕のため、普通学級ではやっていけず、精神遅滞はなかったにもかかわらず、病院に入院しながら養護学校に通うという手立てがとられた。母は出奔してしまい、以来、消息不明である。
養護学校を卒業したので父のところへ帰り、二人だけで生活するようになった。その父は酒乱で、再び虐待を受けることになった。泥酔しているときは逃げることもでき、実際、家を飛び出して10回近い補導を受けている。解決はもたらされなかった。2年後のある朝、家を出てゆく父の背中を見て、「やはり殺すより仕方がない」と少女は決心した。夜、布団に灯油を振り掛けられているのに気付かずに酩酊した父は寝入った。縁側にさらに灯油をまいて少女は火をつけた。隣家も焼けてしまってはまずいと考えて、自分で119番に連絡した。家庭裁判所の審判廷で、「やったことに悔いはない」と述べたという。
入院時、痩せ細って疲弊し、目を落とし、両袖を交互に引きおろすようにして瘢痕を隠そうとしていた。小声で、短い返答をするにも相当の時間を要したが、内容そのものは、なかなかに考えたものであることが伺えた。少年院入院後しばらくして、食事の時、ほとんど口を開かずに抜け落ちた門歯のあいだから物を押し込み、咀嚼することなく飲み込んでいるらしいことが観察されてから、「臼歯部骨性癒合による開口不能症」というのが発見された。幼少児期に父に殴られ、崩れてしまった顎関節がそのまま固まってしまっていたのである。
精神科、歯科、外科、整形外科、形成外科、口腔外科、産婦人科、内科、皮膚科、耳鼻科などが広くかかわることを要した。ことに歯科医が某国立大学の口腔外科学教室にわたりをつけてくれ、半年に近い入院手術に加えて、それに倍する期間のリハビリテーションを、学用患者として無料で加療してくれるという話に発展させてくれた。
同じ歯科医師が、同志のグループで開設している宿泊施設の一室を提供してくれて、なお頑固で人を信じることに臆病であるらしいこの少女は、いま、ビルのメインテナンス関係の仕事に就いているという。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。