1 地域内循環型経済と自立のためのキーワード
2 転と楽
3 軽
4 連
5 連の発展
6 まとめ
1 地域内循環型経済と自立のためのキーワード
かつて、日本経済が絶好調の頃に「日本列島改造論」が言われ、高速道路、新幹線、海峡をまたぐ大橋、空港、原子力発電などを整備することで、都市部と地方とをスムースに連結し、そうすることで産業や人口の分散が図られるだろうと期待された。「重・大・速・高」がモットーとされたと言えそうである。各地の公共事業などは活況を呈し、「バブル崩壊」の前夜には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という日本礼賛の書がベストセラーとなった。
しかし、都市と地方を直結することは、さらに容易に人々を大都市に吸い上げることにもなり、新興国の追い上げやグローバリズムの進行が逆風となって、日本は「ひよわな花」と見られるようになり、社会は失速してしまったとされる。
失速や停滞ではなく、その向こうの安寧。一定の特色ある地域がその圏内で完結的に循環する方法はあるかとしたときに、筆者のような素人にもまっさきに浮かぶのは、かつての列島改造論とは真逆の「軽・小・環・低」といったモットーであり、「転」…考え方の転換と、「楽」…そうした生き方に楽しみを見い出せるか、といった素朴なキーワードである。
2 転と楽
「人は切りよく八時間」と昔から言われている。「8時間を働き、8時間を遊んで食べ、8時間を眠る」。これが永く健康でいられるコツなのである。
いま、大都市近郊の自宅から職場までの間、朝6時に家を出て夜中の10時を回ってから帰り着くといった生活をしている人はザラである。移動の時間を含んでいるとはいえ、休んで食べて眠る時間が大きく浸食されてしまっている。「帰りの電車の中で、どういうわけか涙が出てくるんです」などと述べる人がいるが、バッテリーが上がってしまう寸前の疲弊にあると言えよう。
当の若者たちの多くが、今の自分自身の在りようを楽しんでいるようには見えない。激しい成果主義にさらされて疲弊し、「死にたい」とまでもらす人も珍しくはない。
そうした時、「そこまで思いつめるのなら、いっそ土に寄りかかってみてはどうですか。違った生き方がきっと見つかると思います。今すぐとは言わないけど・・・」というようなことを私は口にすることがある。何を言われたかが分からずにキョトンとされることが普通であるけれど、驚くべきことに、瞬時にその大筋が理解されることがある。心が待ち望んでいたものが、ふいに目覚めるのであろう。これが転換をもたらす。
はじめから、土と木の匂いが好きな人がいる。たとえば私の父は信州の木曾谷で開業医として一生を過ごし、「菜園の記」と記した小さな手帳に次のような歌を残している。
患家にて茶飲み話にエンドウのでき栄え誇る老医なりけり
エンドウが蔓手欲しとて細き手をわれに伸ばせし夢を見たりき
大原への往診うれしカッコウの初音を楢の林にぞ聞く
父の往診先は谷の行きどまりといった集落が多く、自転車でゴロゴロの山道を半日がかりというものだったから、ご苦労さんということでドブロクを振る舞われることがしばしばだった。帰り道、初冬のダムを泳いで横断したことがあって、狭い谷の伝説のようになっている。たまたま大きなダムではなかったから凍え切らずに済んだのである。無類に酒が好きであったが、歌にあるように、土に触ることを脳溢血で倒れる寸前まで楽しんでいた。
私自身にも思い出がある。学生時代のうちの二度の夏をみっちり二か月間ずつ、貸与された双眼鏡をぶらさげ、ポケットに「木曽福島営林署駒ヶ岳国有林高山植物監視員」という身分証明書を入れて、運が良ければ、中央アルプスにもまだ棲息していたライチョウの親子連れに先導されるようにしながら、このアルプスを歩き尽くした。
頂上木曾小屋にアルバイトに上がって来ていた山林高校三年生の2人としばしば一緒だった。明治時代に設立された「木曾山林高等学校」は日本に一つしかない特化した学校で、林業、土木、木材工芸、のちには情報流通などを教えており、実習が多いから、生徒たちは鉈を吊って登校することが多かった。鉈こそが彼らの誇りであって、それぞれがギトギトに研ぎあげ、凝った飾りを施した鞘に納めていた。
1年生は、西部劇に見るガンマンのように、鉈を腰の真横に吊っていた。2年生になると真横と背骨の中間の位置までずらす。3年生になると尾骨から続いた尻尾のように、真後ろに垂らす。どういうことか、それが決まりごとで、1年生が生意気にも真後ろに吊っているようなことがあると、上級生に呼び止められて殴られるのだという。それでいて、鉈を使った喧嘩や傷害沙汰は一件も聞いたことがないとのことだった。
2人のセミプロと一緒に作業をするのは楽しかった。登山道をふさいでいる倒木を片付けようと話がまとまったとすると、彼らは鉈をチョンチョンという感じで使う。素人はガツンガツンと使う。登山道の崩れを補習しようという時には、もっと教えられた。彼らは石垣の積み方までしっかり学んでいた。
頂上から三十メートルばかり宝剣沢のほうに降りたところにあるクロユリの群生。頂上と中岳との鞍部にひときわ生え揃っているミヤマウスユキソウ。木曾駒ケ岳のミヤマウスユキソウは、ヨーロッパアルプスのエーデルワイスにもっとも似ていると聞かされていた。宝剣岳の天狗岩の岸壁の、秘密の湧き水のまわりにへばりついているチョウノスケソウの群落。行くさきざきのイワギキョウ、ツシマギキョウ、ツガザクラ、トウヤクリンドウなどを私たちは守った。
木曾山林高等学校は、それからの林業の衰退とともに有用性を低めてゆき、林業の再生を待ちに待ったが、平成21年(2009)に同じ谷にある普通科「木曾高校」の森林環境科として統合される形でついに閉校となった。108年の歴史を記した資料館が残された。
種子を蒔く。芽が出る。そんなことに新鮮に驚くというような、血の奥に眠っていた感性を呼び起こすこと。これが大切な「転」であると思う。アスファルトの上でポケモンを追いかけるよりも・・・、あれはいったい何がどうなる体験であるのだろう。
このあたりでお疲れでしょう。よく手入れされた秋の林を目の保養にして下さい。
3 軽
林業の再生の方が、農業の再生よりも始動しやすいのではないかと思われ、それは「軽」をキーワードにして進んでゆくであろう。
かつて、林業が花形産業であった頃には「重・遠・専」という考え方中心であったと言えるだろう。
大型のトラックを入れるために、広い林道が奥へ奥へと広げられていた。材木を高々と積み上げたトラックは横転しやすいので命にもかかわり、道は舐めるように平らに保守されている必要があった。林道に続くように、「軽便鉄道」が張り巡らされていた地方も多い。さらにその先の尾根から尾根に、太くて重いケーブル装置が固定して張られることもあった。多額な費用と人手を使って玄人が運用したが、先に記したような経過をたどって、いずれも過去のものとなってしまった。軽便鉄道のほんの一部だけが「森林鉄道」と名を変えて、森林浴を売りにした観光資源として残されているところがあるぐらいである。
それに対して、再生のための「軽」とは、「刈り払い機」「チエンソー」「林内作業車」「ケーブルや滑車装置」「集材機」「小型で頑丈なトラック」などの軽量化、高性能化、低価格化、のことを言っている。安全のための受講は必要であるが、驚くべきことに、刈り払い機やチエンソーは、今の私のような老人でも結構に使いまわすことができるまでにはなっている。
再生林業の先駆けとして「土佐の森方式・軽架線」という実践が注目されているという。その日の作業に合わせて、山の上と下にある木を見つくろい、幹の間にワイヤで架線を張る。林内作業車のウインチと滑車を使って伐採した丸太を吊り降ろし、幾台もの小型トラックに積んで里まで運び出すという方式である。軽便性と移動性をメリットにしているので、太くて長い材木は扱いきれない。もう少しパワーのある機材とのコンビネーションが必要であるだろう。
農家や民宿などを兼業している個々人がグループを組んで、丸太の供給を安定拡大することができれば、そうしたグループがあちこちに生まれれば、数年前からドイツやオーストリアが成功しているように、木質系資源の活用の輪がスムースに回り始めるであろう。「エコストーブ」などの燃料となる木っ端、小規模発電のための「木質ペレット」、最も期待して良いのは「直交集成板」。直交集成板というのは、一枚では強度に不足のある板材を、繊維の方向が互いに90度をなすように重ねて大きなパネル状に圧縮集成したもので、強度、耐震、耐火、防腐、断熱、遮音、施工性などの総合性能が鉄筋コンクリートを凌ぐとされる。一番のメリットは、間伐材のような細めの原木も材料にできるということである。その加工工場は小規模なものとしても地域にあるべきであり、製品の角材、集成材、ペレット、木っ端などは、同じ地域の古民家のリフォームや暖房などで消費循環できるようにしたい。
ドイツとオーストリアは、林業先進国と言われる。そのドイツでは45万ほどの林業事業体があり、その80%超えが個人経営。うち60%が農家であり、民宿や酪農などと兼業している例が多いという。それらが上手に連携しあってスムースな配達などがなされ、家庭では効率のいいペレットボイラーが炊かれ、床暖房や給湯が安価でゆきとどいている。このようなシステムを回しているのは、やはり兼業の素人なのである。そうした素人が動きやすいように森林資源を調整しているのが「森林官」という玄人のマイスターである。
「木曾山林高等学校」がふたたび隆盛することを願っていけないわけがない。先発のドイツやオーストリアに特化した研修所があるように、これからの日本の森の健康を守る若者たちの育成は必須である。
4 連
食料とエネルギーを自給自足に近づけ、地域の生活を支える活力を保ってゆくためには、その地域内で、第一次産業(農林漁業)、第二次産業(製造業)、第三次産業(サービス業)をバランス良く組み合わせることが必要になってくる。高齢化と過疎化が進むほど、サービス産業が占める率が増大するために歪みが生じてくるからである。
「地域包括ケアシステム」ということが、このごろ言われるようになっている。「地域の実情に応じて、高齢者が住み慣れた環境で自立した日常生活が営めるよう、医療、介護、介護予防、住まい、生活への支援が包括的に確保される体制」と要約されるが、長いあいだを掛けてじわじわと取り組みを進めてきた結果、「地域医療」という医学の一分野が行き着くことができた成果であり、先進的な自治体のいくつかでは実際に回転を始めているシステムである。
そうした実践の一つを要約すると、決して大きな規模ではないが地域医療の中核をなしている病院に、「健康管理センター」とでもいうべきものを設置し、受け身の診療業務ばかりでなく、保険と福祉に関する行政部門を病院長を中心に一元的にまとめ、介護施設や福祉施設なども病院に密接に関連させて運用する体制を作り上げているというものである。
仮に、数年前にいくつかの町と村が合併して一つの「市」になりはしたものの、なお過疎化傾向を逃れられないでいる或る地域を思い浮かべてみる。
合併前に在った町村役場は「市役所分所」という形で残されていることが多いであろう。こうしたところに「診療所」が併設されて地域病院の出先機関となるとしたら、医師、看護師、社会福祉士などのスタッフにより、外来診療や健康診断ばかりではなく、在宅医療、訪問診療、福祉、介護など隣接する分野と直接につながってゆき易い。
いま、最先端医療や高度専門医療に魅かれるばかりでなく、地域で「総合医療」をじっくりとやってみたいとする医師は決して少なくはない。潜在的に医師の不足は無いといえよう。現に地域医療が飛躍的に発展をとげたケースでは、熱意ある一人の医師が着任し、その高い総合診療能力で住民の信頼を得、職員の意識改革をもたらし、近隣医療機関などと連携を進め、次第に地域を包括的にケアしてゆくようになるという経過で発展していることが多いようである。
ITの発展で「遠隔診療」のためのアプリケーションが提供されるようになって、農山村に居ながら専門医の診察が受けられるようになりつつあることや、1滴の血液から幾種類ものガンの診断が可能となるなどの検査の発達、検体や薬品のドローンによる輸送、加えて一定の条件が満たされれば「死亡診断書」を看護師が代筆できるといった改定などが進められているが、こうしたことも追い風になるに違いない。
休日や研修日の確保、そうしたときの代診業務などをカバーする方策の不足などが職員定着のマイナス要因となっているが、それぞれの地方の大学の医局を巻き込んでの懸案となってきている。
「地域包括ケア」は前述したとおり、過疎地に暮らす人々の医療や介護にとどまらず、その日常生活や住まいにまで大きく影響してくる。そうでなくては困る。医療介護はそれこそ喫緊の問題であるが、それがある程度満たされたとき、もっと開けた展開がなければならない。
一部職員の熱意は、新たな分野の職員による新たな取り組みを呼び込み、役場分所は「地域マネジメントセンター」ともいうべき役割を持つに至り、本来の公的事務スペースに加えて「小ぶりな介護施設」や「ミニ・コンビニエンスストア」などを併設し、センターを基点として「巡回診療車(含歯科)」「多用途巡回サービス車(代行業務・日用品・食料品)」などを運行させることができれば、地域のソーシャルキャピタルを保つために必要なさまざまな分野に熱心に取り組もうとする人々の、相互の連携をいっそう緊密にするように作用すると思われる。さまざまな分野とは、「山林業務・製材加工」「バイオエネルギー」「太陽光発電」「水力発電」「養魚・養蚕」「ヤギや地鶏などの飼育」「耕作放棄地の再生」「農業機材のシェア」「空家対策」「観光資源開発」「サテライトオフィス」「防災」などをいう。
5 連の発展
現役世代を引き付けられるかどうかが勝負となる。都市生活からすれば、田舎の非日常的な体験は癒しになる。村に残されている「閉鎖された学校」などを合宿所に改装し、農作業や山菜採りから始まって、ヤギの乳からのチーズ作りなどを体験してもらう。
このような非日常な体験は、繰り返されれば日常の時間となって新鮮さを失うから、観光事業やイベントと位置付けておくべきであろう。
過疎地での体験をいつまでも新鮮に保つ工夫はないではない。
『赤ちゃん誕生。おめでとうございます。別荘を無料で提供します。二人目の赤ちゃんであれば、お好みの別荘を選べる順番が上がります。ただし、どんな領域であれ歓迎ですが、年に〇〇日以上のボランティア活動ができる方に限ります』
こんなふうに打ち上げる地方自治体があったらどうなるであろう。わずか数十年後には、現在の人口が1万人以下の町村の住民は半分ほどになり、国土の20%は無居住化するというから、途方もない話ではない。ドイツで伝統のある「クラインガルテン」方式、区画のそれぞれに作られている「ラウベ」と呼ばれる滞在型の小屋。それらを大きく根深くしたやり方と考えればよい。
空家の修繕や手入れを、ほとんど無料で提供される地元産の角材や集成材を使って出来るだけ自分たちの手と汗でしてもらい、あるいはシェアされた農業機械を使ってもらい、用水路の手入れや草刈りなどをしてもらう。空家ではなかったにしても、じいさんばあさんの管理人付きの別荘を田舎に持ったと考えてもらうことである。
たとえば、現場合わせの大工仕事というものは限りない工夫を要するものであるから、古民家の修復などをはじめたとすると、いくらやっても次の仕事が待っている。何年やっても日々は新鮮で、非日常的である。その当人が本業を定年になったら、本格的な地域暮らしにスムースに移行できるであろう。そこでの生活は、年金で支えられるほどに低コストになっているはずである。その子供たちにも先々の選択肢と安心のある将来像を示すことができよう。
特異な技術や技能を持った人たちによって、特産品や観光資源をブランド化することができればさらに助かる。
6 まとめ
「患者の命は患者持ち」。かつて父が言ったことがある。木曽谷で医業をやっていた父の往診先は谷の奥ということも少なくはなく、まともな自動車や自動二輪車のない時代でもあったから、充分な医療を施せたとはとても思われない。そんなことに対する自嘲と患家の人たちへの詫びに近い気持ちから出た一言であると、長いあいだ私は思っていた。それが、自分が生きることを重ねるうちに次第に違ってきている。
人は誰しもが先端医療や延命治療の限りを尽くしてもらうことを望んでいるわけではなく、親しんだ畑や見慣れた山の端を眺めながら、気のおけない医者と酌み交わしたドブロクを最後にして終わりにしたいとする人もいるのである。自分の生命をどのように生き、どのように終えたいかを願うことは万人の権利である。誰もがまちがいなく持っているものである。
「人はそれぞれに生かされて生きている」。これを弁えた施策は成功し、始めにしかるべきプログラムありき、といったやりようは必ず失敗する。
ひるまず、気負わず、休まず。凛として楽しめば、「肩車型社会」の試練を乗り越えられないわけがない。それを見届けたいものである。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。