恵みを捨ててしまっている日本
1 森林について
この国の国土の70%は森林でおおわれており、そこには60億㎥もの「森林備蓄(木材として使える樹木)」があり、これは世界最大の林業国として復興しているドイツの2倍もの規模に達している。「私たちは宝の山の上にいるようなものだ」と指摘する人さえいる。日本の森林蓄積60億m3というものは年々増加しつつあり、一年間で増える森林は8000万m3と推計され、これはこの国の年間木材使用料とほぼ均衡する。つまり我が国は木材を自給することが100%可能なのであり、しかも、その平衡を永久に維持循環できるのである。
にもかかわらず、驚くべきことに、現在の日本の木材の自給率は30%ばかりにとどまっている。世界最大の木材輸入国として、アメリカ、カナダ、ロシア、マレーシャ、インドネシア、オーストラリア、ブラジル、チリ、パプアニューギニア、EU、中国・・・といった諸国から大量の木材をさまざまな形で輸入している。森林破壊という視点から、国際的に非難を寄せられている。
自分の国では多くの森林が放置され、下草刈り、つる切り、雪起こし、枝打、除伐、間伐などの手間が抜かれ、樹木が密に重なり過ぎて表土も流失しがちな状態になっているところも少なくない。健全な森林は、炭酸ガスの吸収と酸素の供給という重要な機能を担い、斜面の崩落を防ぐといった役にも立っているが、多くの倒木が腐敗するような状況では、環境にとってむしろ負担になるという。
平成29年(2017)7月に北九州地方に続いた豪雨では、大量の流木が濁流を堰き止めてしまって被害を広げてしまったようであるが、これこそは国土が与えてくれたせっかくの宝を、災いの元にしてしまっている無策のあらわれであるだろう。
ドイツ、スウェーデン、カナダなどの森林は比較的平坦であるところが多いために、巨大な森林作業車(ウルトラ重機)を使うことができ、伐採、集材、搬出、植林などを効率よく回せている。それに対して、日本の森林は峰と谷が入り組んだ高低のはげしい斜面であることが多く、トラックを入れる道を付けるのも採算がためらわれる。持ち主が不明であるために手が付けられないものも少なくない。つまり、木材として利用するにコストが高くなってしまうのだという。外国の木を切り倒して、地球の反対側から運んできても採算が合うのである。
現在、日本の林業は低迷している。林業の担い手は45万人から5万人に減少しており、その30%近くが65歳以上の高齢者。林業生産のGDPに占める率はわずかに0.04%まで落ちてしまっている。
これは間違っている。自国の林業のコストが合わないからといって、他国の熱帯雨林などを伐採するというのは、まともな国家のすることではない。
急な斜面をものともしない高性能の小型森林作業車の開発。集材するためのケーブル装置。これを迅速に設置・移動・撤収する技術。現場で半製品に加工してしまう技術。集材センターに一息に丸太を運び降ろせる巨大ドローンの開発。海が近ければ、貨物船に直接積み込めるような運用。持ち主不明の山は国有林として運用できるようにする法の改正・・・。
治山治水は昔から国のバックボーンである。それをしっかりと支えるために必要な、小型で取り回しのいい森林作業車、中型で頑丈なトラック、ケーブル関連技術、木材を吊り上げて運搬する技術などは、集中して早急に開発しなければならないし、この国に住む人の能力をもってすれば出来ないはずはない。空母や潜水艦や迎撃ミサイル、あるいは宇宙開発のためのロケットなどよりも優先すべき課題である。守るにあたいする国土というものは、森林が放っておかれているような列島ではないはずである。しかも、許された時間は7〜9年と焦眉に迫っている。
2 農地について
昭和35年(1960)ころは610万haほどを保っていた農地面積は、平成27年(2015)までの55年間に350万haに減少した。40%以上の消滅である。同じ期間に農業従事者は1200万人から、200万人に減少しており、その200万人の65%は65歳以上の高齢者である。
農業生産がGDPに占める率も9%から1%に低下し、日本の食料自給率はかつての75%ほどから、危機的水準と謂われる40%を切るまでになってしまった。農業人口の減少というのは、先進国においてはさほど異様なことではない。食料の自給率40%というのが問題なのである。穀物に限れば自給率は28%、世界で123位ということになる。たとえばトウモロコシを世界で一番輸入しており、その80%近くはアメリカからである。小麦の53%、大豆の62%近くもアメリカに依存している。そのアメリカは穀物を戦略物資の一つと位置付けている。
それでもなお日本では、残されている350万haほどの農地の10%以上に相当するおよそ40万haがいわゆる「耕作放棄地」になっているのである。つまり埼玉県一県(38万ha)に相当する農地がどんどんと原野に帰りつつあり、その広さは日本の国土(3800万ha)の1%を超えるまでになっている。国土の75%は山地であるから、1%という土地の有効性を失うのは大きい。
この国の地勢の特徴から、典型的な農産地の景色は、集落のまわりを農地が取り巻いており、その周辺に「里山」が続いて山に移っているというものである。いろいろな意義を持つ里山が荒れることからも新しい支障が出てきている。イノシシ、シカ、クマ、タヌキ、アライグマ、ハクビシンなどが繁殖して作物に被害をもたらすばかりか、ヒトが襲われることもあるらしい。妙な病原菌を広げられるケースもあるらしい。
一度原野に戻ってしまった農地を元に戻そうとしたら、開墾に等しいおそろしいエネルギーがいる。我々は農地を失うと同時に、負のエネルギーを着々と溜めつつある。
これは間違っている。
食料の自給率を上げることは、この国が国際的に対等に振る舞うためにも必須の課題である
誰が考えても、農業再生のポイントは地域ごとに極めて特徴のある里山や農地を如何に活用できるかにある。そしてこれは、「耕作放棄地を元に戻そう」ということだけに躍起になってもどうにもならず、一次、二次、三次産業を巧みに組み合わせた地域包括的なプログラムが必要であるのは云うまでもない。この記事と同じ「若者たちのこれから」というカテゴリーの中に「これからへの想い・・・軽・小・環・低」の中で考えたことがあるので、参照いただければ幸いである。
台頭してくるアジア諸国の勢いを逆手にとれば、地域地域の特徴を生かして緻密に栽培された高品質な農産物は、日本に唯一あまり気味なコメはもとより、リンゴやブドウやミカンなどの果実にしろ、これからはアジア一帯も輸出の好市場になってゆく。技術の輸出といってもいい。これまでの受け身の農業から脱却する方法の一つであろう。
農と林が他の分野の活動に組み込まれてバランスよく息づくこと。林業先進国のドイツでは林業事業体の60%以上が、農業、酪農、民宿などを兼業して成功している。里山と里山を繋いで「地域循環型経済」に近づくこと。わが国で不可能であるはずはない。
終わりに、気になって仕方のないことがある。日本で発生する食品廃棄量は2800万トンに達し、これは食料消費全体の30%に相当するという。
そのうち、加工されて販売ルートに乗り、買われ、まだ食べられるにもかかわらず捨てられてしまうものが630万トンあり、日本は「食料輸入大国」でありながら「食品廃棄大国」とされることがあるという。
後者の630万トンについては、最近になってさまざまなキャンペーンや実践がなされ始めている。残りの2170万トンはどのように取り組まれているのだろう。堆肥やバイオエネルギーの原料などとして、効率よく還元されているのだろうか。
3 海について
この国の漁業のおおまかな流れをみると、この40年間で漁業従事者は3分の1以下に減って現在20万人を下回っており、その40%近くが65歳以上の高齢者である。漁業生産がGDPに占める率は0.14%。魚介類の自給率は、かつて100%であったものが現在60%ほどになっている。水産物の輸入量は世界一、わけてもマグロについては世界の漁獲量の25%を日本人が食べている。
日本列島は四方を海に囲まれている。日本人は「海の民」と言われてきた。それが海産物の半分近くを外国に頼っているというのは、いったいどういうことなのだろう。
たとえばサケ・マス漁の推移。複雑であるが、一口に云えば、天然物輸出国から養殖物輸入国への変遷である。このごろのスーパーストアには、チリやノルウェーからの養殖サケが並んでいる。ノルウェーからは空輸されて来るそうである。日本の人工孵化稚魚放流によるサケの漁獲は、コストの面で太刀打ちできないのであろうか。静かなフィヨルドの海を活用したノルウェーの養殖の一端を見たことがある。冬は厳しい仕事になるであろう。漁業を志す若者には特別な手当てが為されるそうである。
日本列島の太平洋側をなぞるように深い海溝が連なっており、その底には、レアメタルやメタンハイドレートなどの資源が豊富に存在することが知られている。
これらを安定して採掘する技術を確立できれば、AIが予測する日本の未来のシナリオはどのように変わるのであろう。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。