沁みついている光景 三つ


 人生の第4コーナーを廻ってから、なんと、3週間ほどの入院を要する手術を2度受けた。麻酔から醒めると襲ってくる強烈な痛みの中で、1秒1分を少しでも楽に耐える方法は無いものかとあがいた。・・・来し方のうちから、楽しかったこと三つ、美しかった光景三つ、恐ろしかったこと三つなどと、あれこれを掘り出してゆくのが最も有効だった。幼い頃のことがほとんどだった。

沁みついている光景 三つ

1 幻の大湖の決壊
2 南の島の岩磯
3 スイス ベルン郊外の俯瞰

1 幻の大湖の決壊

 独峰木曾御嶽は木曽側から望むと殊に美しい。高さではかなわないけれど、アフリカ大陸の最高峰キリマンジャロを想わせる威容を漂わせている。独峰ということに限れば、富士山に次いで日本で2番目に高い。なにしおう活火山でもある。
 ある夏、私はいくつかの登山道のうちでも開田高原口を選んで、独りでこの山に登ろうとしていた。
 ようやく四合目も近いかというあたり。折り返しの一つを回り込むと、突如、雪崩を打って落ちかかって来る黒いきらめきの連なりに向き合い、決壊しつつあるダムの正面に立ってしまったかと狼狽えてしまった・・・。
 山襞一つを隔てて、裾野を埋めている無数の前山のうちの二つが程良く間を開けて向かい合っており、その間をびっしりと埋めている針葉樹の梢たちが、折からの逆光を背負いながら下へ下へ、巨大な漏斗に吸い込まれるように連なっていたのである。檜やサワラであったであろう。それぞれが急斜面にしっかりと根を張って立っているはずだったが、どの梢も黑く透き通って飛沫のように輝いて、音の無い瀑布さながらに動いて見えたのである。

 この光景をいつも何処かに温めながら、なんと60年近くが経ってしまった。

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恐ろしかった光景 三つ


 人生の第4コーナーを廻ってから、なんと、3週間ほどの入院を要する手術を2度受けた。麻酔から醒めると襲ってくる強烈な痛みの中で、1秒1分を少しでも楽に耐える方法は無いものかとあがいた。・・・来し方のうちから、楽しかったこと三つ、美しかった光景三つ、恐ろしかったこと三つなどと、あれこれを掘り出してゆくのが最も有効だった。幼い頃のことがほとんどだった。

恐ろしかった光景 三つ

1 決壊寸前のダム
2 街道に沿って渦巻く炎
3 東日本大震災の津波

1 決壊寸前のダム

 太平洋戦争の末期。戦局が押し詰まってくると、信州信濃の山奥の木曽谷でも空襲警報のサイレンが鳴った。敵はいよいよダムを爆撃して水力発電を壊滅させようと企んでいるのだという。狭い谷間でのサイレンの繰り返しは波うち、山と谷に幾重にも反響してそれは恐ろしい咆哮になって轟いた。小学校に上がる前の幼児だった私に込み入った話は分かるはずはなかったが、恐ろしいことが近づいているという緊張にはたっぷりと晒された。

 結局、ダムは爆撃されなかった。けれど、粗雑に造られつつあったらしい溜池のようなダム(緻密に建設されればロックフィル式ダムとして合理的な技術)が、決壊しそうになった光景を見たことがある。

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楽しかったこと 三つ


人生の第4コーナーを廻ってから、なんと、3週間ほどの入院を要する手術を2度受けた。麻酔から醒めると襲ってくる強烈な痛みの中で、1秒1分を少しでも楽に耐える方法は無いものかとあがいた。・・・来し方のうちから、楽しかったこと三つ、美しかった光景三つ、恐ろしかったこと三つなどと、あれこれを掘り出してゆくのが時を稼ぐのに
最も有効だった。幼い頃のことがほとんどだった。

楽しかったこと 三つ

1 幼かった日のキャンプ
2 忘れられたトライアングル
3 高山の秘密の花園

1 幼かった日のキャンプ

 木曽谷には珍しいことだが、木曽駒ヶ岳の裾野が小さな扇状地になって西側に開けている場所がある。そこからは独峰木曽御岳をどっしりと望むことができ、その山容はアフリカ大陸の最高峰キリマンジャロを想わせる。土地の人達はこの広がりを昔から「原野(はらの)」と呼んできた。
 天然芝の広がるそこかしこに、長い間の浸蝕で角を削がれた大小の花崗岩が散らばっていて、それが恐竜や怪物が見え隠れしているように見え、白樺、楢、赤松、山桜などの林が点在し、茨や山吹などの藪の間を浅い小川が軽やかに流れていた。
 キリマンジャロが見え、怪物が潜んでいるとすれば、ここはアフリカである。町から木曽川の上流4キロほどのアフリカ。子供たちはさんざんにピグミーごっこをして遊んだ。

 今、「原野」の大部分はゴルフ場に姿を変え、瀟洒なクラブハウスも建てられている。何年か前に原野を訪れてしばらく少年の頃のことを想っていると、現れた係員に違法駐車を咎められたうえに退去を要求された。何処でも先住民は追われる定めにあるらしい。 “楽しかったこと 三つ” の続きを読む

ツマグロヒョウモンを看護しました


傷付いた(?)ツマグロヒョウモン

8月2日6時06分。ヒョウモンチョウ(豹紋蝶)の一種と思われる蝶が、タイルの上でこごみ込むようにして翅を煽り上げていました。
羽化したばかりの翅が進展するのを待っているのだろうと思いました。
最初に見付けたのは、真っ先に庭に飛び出して行った子犬でしたが、変にちょっかいを出さないでくれて助かりました。

が、やがて普通でない様子に気が付きました。目も触角も胴もいたって健常に見受けられるのに、前翅の縁が左右ともに決定的に折れ曲がっているのです。それで、一生懸命に羽ばたいても飛び上ることが出来ません。前に移動するばかりです。
同日7時20分にはタイル脇にあるアジュガの上に居ました。翅の折れ曲がりは相変わらずのようです。

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アカメガシワとカラス

真夏の木の実にカラスの群れ

真夏も8月中旬という猛暑。昼近く、右手の木立が騒がしく動いているようなので見上げると、緑の濃い中にカラスが群がっています。ハシボソガラスですが、何やら旬の好物をあさっているようでした。
カラスと言えば、生ごみの袋を食い散らかすありさまに見るようにふてぶてしさが圧倒的なイメージですが、この樹に取り付いている様子もおしとやかとは言えないようです。ゆさゆさと枝を揺すり、房状に実った黒い実をかき集めてむしり取っているように見えます。

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いま騒がれている昆虫 「チュウゴクアミガサハゴロモ」


庭のアケビに

 この年の初夏も7月2日のこと、植えたばかりの三つ葉アケビに初めての実が付いているのを見付けました。わずかに紫色を帯びた灰色の団子が一個だけ頑張っていて、なんとも微笑ましいものでした。

 と、アケビの実に続いている葉や蔓のあちこちに見慣れぬ茶色のものがゾロゾロと・・・鉄錆色!・・・ピンときました。 “いま騒がれている昆虫 「チュウゴクアミガサハゴロモ」” の続きを読む

「方丈記」の不思議


小品でありながら

 「方丈記」は全編で400字詰原稿用紙25枚ばかりの小品でありながら、私にとっては生涯で読んだ本の中で一二を争うほどに印象深いものになっています。
 作者の「鴨長明」は琵琶や琴の名手でもあったせいか、諸行無常を結晶させたような文章が深いリズムを伴っており、読み進んでいるうちに私自身の声が自然に引き出されて音読に移っている・・・といった風です。

天災人災のルポ 

 方丈記は「災害の文学」と呼ばれることがあるそうです。
 鴨長明は何事も探求して極めようとする徹底性、冷徹な観察力、結構な行動力を備えた人でした。
 そんな人が21歳の若さで相続争いに敗れてから、30年間も、平安末期の末法感漂う洛中洛外を転々としたのですから、凄い物を見聞することになります。
 「安元の大火」「治承の竜巻」「治承の遷都」「養和の大飢饉」「養和の大地震」・・・群がり起こった天災人災の実見禄は、実際の体験から何十年も温められてから表わされたものであるだけに、簡潔でありながら叙事詩を読むような緊迫感があり、読んでいる方の緊張も次第に高まって、総毛立つような場面さえいくつかあります。

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この光景 Forever   春編


に続いて、「多摩モノレール」「昭和記念公園のサイクリングロード」「みんなの原っぱ」「子供の森」などのの光景を挙げたいと思います。

モスグリーンに霞む春  「多摩モノレール」
樹々の芽が一斉に吹き出るころ・・・山桜がそこかしこで咲き始めるころ、森や山は暖かいモスグリーンに霞んで見えるものです。そうした中をオモチャのように見える電車がゆっくり走っています。

 この動画は日野市の遊歩道の一角からほぼ西を望んだもので、近くには「都立多摩動物公園」が、遠くには奥多摩山系の山々が写っています。山々は「高尾」「陣馬」「雲取」などのはずであり、さらにカメラを少し西に振れば「富士」が視界に入ってくるはずなのですが、いずれも春霞のためにもやっていて判然としません。ただ静かで平和です。
 「多摩モノレール」は東京都の多摩地域を南北に結ぶ交通機関として2000年に整備されたものですが、その利便性が高いことから、最近、北への延伸計画が実行の段階に移ったということです。

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可愛らしい 「アオバハゴロモ」の幼虫

 

 6月中旬の良く晴れた日、何時ものように子犬と連れ立って近くの公園に行きました。
 木陰に入って真夏のような日差しを避けていると、ふと、眼の前の柵の鉄パイプに何やら小さなコンペイトウのようなものが付いているのに気付きました。3つ4つあります。何だろうと訝しんでいると、その1つがチコチコチコと動き始めたのです。
 私のカメラは望遠仕様なので近くのものを接写するのは苦手なのですが、精一杯にクローズアップした動画がこれです。

 チコチコ歩いて行って1匹のアブラムシのようなものと出会い、一旦離れて何を思ったか、後ずさりして挨拶。その様子がなんとも可愛らしい!

 腕時計と比べてみると分かるとおり、綿菓子のかけらのように見える全体は大層小さいのですが、精々アップしてみると、お相撲さんのように結構に踏ん張っているのが分かります。それがまた可愛い。

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「菩提樹」と「雪山讃歌」

 

 私はマニアックな音楽の愛好家ではありません。
 一人で工作や草取りなどをしている時などに、ふと、何やらメロディーを口ずさんでいるのに気付くことがあったり、美空ひばりはやっぱり上手いなぁ、と思ったりする・・・といった程度の音楽好きです。
 そんな私にも、長い間を呑気に付き合っていた歌が、ひよっとした拍子に、実は深刻な内容のものであったのだと分かって、独りで思い入ってしまうことが幾度かありました。とりあえず「菩提樹」と「雪山讃歌」がそうした例です。

菩提樹

    菩提樹   近藤朔風 訳詞

   〽泉に添いて 茂る菩提樹
    慕いゆきては うまし夢見つ
    幹には彫りぬ ゆかし言葉
    うれし悲しに といしそのかげ

    今日も過(よぎ)りぬ 暗き小夜中
    まやみに立ちて まなこ閉ずれば
    枝はそよぎて 語るごとし
    来よいとし友 此処に幸あり

 「菩提樹」を教わったのは、おそらく中学3年の時でした。
 教科書には2番までしか載っていませんでしたが、歌詞が難しくて半分も解らなかったものの、メロディーはすんなり入ってきたので、家に帰ってからも兄とよく合唱したものです。
 唄い出しに〽泉に添いて~とあるのを、私は勝手に〽泉に沿いて~と受け取ってしまったので、頭の中に浮かんで来るのは、大きな泉の岸に沿って何本もの樹が茂っているという広々とした明るい光景でした。音楽の先生が、菩提樹はヨーロッパでは街路樹としてよく使われる、と話してくれたことも先入観として影響したと思われます。

 つまり、少年のころの私にとっては、シューベルト作曲の「菩提樹」という歌は美しく、広く、穏やかなものでした。

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