身は自然に任せたい


欅の大樹の下で

 私がささやかに楽しんでいる菜園の近くに、一本の欅の大樹が聳えています。根が四方に張って、幹はたっぷり二抱えを越え、枝には幾つものヤドリギを養っています。その実を目当てにして、かのヒレンジャクやキレンジャクが訪れることもあります。
 冬の日、根方に深く食い込んだ笹竹を掘り上げてやろうとしていると、なんと、幾片かの石器が混じった縄文土器が出てきました。樹木は、この惑星で一番に長寿の生き物でありましょう。人生の第四コーナーを回り切ろうとしている私には感ずるところがありました。

 かつて、縄文や弥生の時代をこの地で生きた先人がこのあたりに葬られたことがあったとすれば、その人の一部は根から取り入れられて目の前の大樹の何処かで今も活用されているかも知れないのです。「縄文杉」というのが有るからには「縄文欅」というのが在ってもおかしくはありますまい。

    大欅根に縄文の土器を抱く
    弥生二千年武蔵野を見て大欅

 私たちの身体を組み上げていた組織が元素のレベルまでばらばらになり、それがほんの一部であっても次の生命体に活用されてゆく。・・・素晴らしいと思います。
 38億年と言われる生命の歴史を連綿と引き継いだ先端を生きている私。これが途切れるのは怖いし、悔しいことだけれど、どうにも避けられないことです。受け入れるより仕方のないことです。まさに生命の火が消えようとする刹那には、それなりの苦悶に耐えなければならないだろうことも覚悟しています。みんながそうしているのですから。
 さして遠くない日、火葬されて残ったものをそのあたりの無理のないところに撒き散らしてもらいたいと強く願っているこの頃です。

 この稿で言いたいことは、これで尽きています。後は蛇足になります。

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