海よ
初めてボートに乗り移った時のことを憶えています。おそるおそるでした。
足のすくみがそのまま伝わってしまうように敏感に揺れるので、すぐに座席にへたり込んでしまったのですが、山奥の小さなダムの水面から見上げる景色は普段とは全く違ったものでした。遠い少年の日の不安と憧れ。そうです。揺さぶられるようだったのを憶えています。
私は山国で育って長く過ごし、大学を終えてから上京しました。汽車がひどく混んでいて、客車と客車の連結部分に立ちどおしだったので、トンネルに入るたびに、まだ熱の残った石炭臭い煙にたっぷりと燻しあげられたものでした。
数か月経っての夏、新人歓迎旅行というのがあって、伊豆の海を見ることができました。夜の宴会で挨拶の順番が回ってきたときに、「私は山国で育ったので、海が懐かしくてなりません」と切り出したところ、座がどっと沸いて、先輩の一人が「それを言うなら・・・海が珍しくてなりませんというのだ!」と大声を上げたものです。
けれど、今でも思うのです。間違っているのは先輩たちなのです。いくら山国で育ったとはいえ、私はすでに知っていました。かつて海は、今よりも圧倒的な主役であった時があり、生命はさまざまに生まれて溢れ、その一部が陸に上がって私たちの祖先になったのです。海を懐かしんではいけないわけがありません。
舟
ある時、溺れそうになった人が、偶然、そこに浮いていた木片にしがみついて助かった、というのが始まりだったのでしょう。人のなした最も重大な発明の一つに、舟があります。
長い時をかけてじりじりと、時に天才的な着想によって飛躍的に進化し、丸木舟という形になったのは1万年ほど前のこととされています。
それからの人の歴史は時々の舟のありようと密接な関係があります。文化が船を作り、舟が文化を造る。この壮大なサイクルは複雑で、どちらが頭でどちらが尻尾なのか、分からなくなってしまうほどです。
私は思います。海を渡りたくて船を作ったのではなく、それだけの船があるから、海に出たいと願えるようになったのです。舟が先なのです。ことの始まりは、溺れそうになった人の目の前に木が待っていたのですから・・・。
物を運搬する効率がずば抜けて良いというのが、舟の一番の凄さです。抜け目のないヒトが放っておくわけがありません。
漕ぎ手1人で5トンの荷物を積んだ舟を進めることができ、帆を使えばさらに多くのものを運ぶことができます。現在、航空機(ジェット貨物機)の運搬効率を1として比較してみると、トラックがおよそ8〜10倍、コンテナ船およそ100倍、石油タンカーおよそ800倍という計算があります。今でも私たちの生活の基盤を支え続けており、うっかりすると命運に係わっているのだと分かっていただけると思います。
ダブルカヌーとヴァイキング船 南太平洋と北大西洋
今からおよそ1000年前といえば、日本では平安時代に相当していて「古今和歌集」「源氏物語」といったふうに比較的穏やかに印象されますが、北大西洋と南太平洋では同じ時期に、大きな海の活動がなされていました。
北のそれは「ヴァイキング時代」と呼ばれる世界史の一時代を画したきらびやかなものであったのに対し、南のそれは「ホティマツア」と伝承されている男が率いた、たった一度の、ポリネシアの島から東方に向った航海でした。
ホティマツアの航海はたった一度でしたが、私の心の中の天秤では北と南の二つは同じ重さなのです。ブログで別に記事にしたように、彼が祖になって残したイースター島の巨石像たちは、絶海の孤島という一点に封じ込められていたにもかかわらず、ものの興廃を超えた何かを見据え続けているように思えるからです。
それぞれの主役であった、ダブルカヌーとヴァイキング船を取り上げてみたいと思います。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。