1 日本の中学生は、テレビなどを見る時間が長い
2 日本の家庭は「子どもの家事手伝い」に消極的
3 母親たちの認識
4 花王株式会社と成徳大学の調査
4-1調査の要約
4-2家事に前向きな子どもたちの特性
5 家事にコミットさせるのは、子どもの人格を認めること
1 日本の中学生は、テレビなどを見る時間が長い
いくらか古いデータであるが、2003年に国際教育到達度評価学会(IEA)が「中学生の宿題をする時間とテレビ・ビデオを見る時間」について調査をしたことがある。 宿題をする時間は、日本の中学生は1.0時間で45か国中最も少なく、反対に、テレビやビデオを見る時間は2.7時間と45か国中最も多かった。学校での補習や塾での勉強があるので家で宿題をする時間については考慮しなければならないであろうが、テレビ・ビデオを見る時間の多さは異様と言えるのではないか。
現在、この時間にケイタイによるゲーム、インターネット、ラインなどに費やされる時間が加わっており、合計すると4時間を超えるという調査がある。こうした時間が長くなるにつれ、朝食摂取、早寝早起き、自宅学習、図書館利用などといった自主的な習慣が減り、塾に通う率が高くなることが指摘されている。
2 日本の家庭は「子どもの家事手伝い」に消極的
1995年に総務庁青少年対策本部が0〜15歳までの子供を持つ1000人ずつの父または母を戸別訪問して面接し、「子どもの家事分担」について、日本、韓国、アメリカの事情を調査したことがある。
「食事の準備や後片付け」「留守番」「買い物」「掃除」「ペットや植物の世話」「小さい子供の世話」「洗濯」「まだ小さいので家事はできない」「何もしない」に項目を分けてあるが、一番よく家事手伝いをするのはアメリカの子どもで、次いで韓国、日本の順である。日本とアメリカのみを比べると、上に挙げた手伝いの項目の全てで、大差をつけてアメリカの方が勝っている。ことに「掃除」「ペットや植物の世話」については、アメリカの子どもたちは日本の3倍以上も手伝いをしている。こうしたことを裏付けるように、「何もしない」の項に、日本16%、アメリカ5%、韓国4%と出ている。日本における調査では、たまたま0歳に近いような未だ身動きもままならない例が集まってしまったのではないかと疑われさえするが、そうではない。「まだ小さいので家事はできない」の項には似たような率が横並びに出ている。
3 母親たちの認識
近くでは、2015年7月に日本生活協同組合連合会が母親たちを対象にした「小中学生のお手伝いに関する調査」がある。これによると、小中学生全体のおよそ2/3が何らかの家事手伝いを週1回以上しており、1/4がほぼ毎日行っているという回答が得られた。見方を変えると、実に学童の1/3近くは週に一度も手伝いをしていないことになる。
どのような手伝いをしているかという内容には触れていないが、小6から中1ほどを潮目にして、それ以降は手伝いが目立って減少する。子供の自発的な手伝いを助長するためには、まず「ありがとう」と感謝をはっきり示すことと、ついで「よくできたね」と褒めることが大切であると母親たちは考えており、さらに家庭において価値ある存在であることを認めてもらえることは、自分の世界がまだ狭い子供自身にとって、重要な意義を持つと母親たち自身は認識するようになっている。
4 花王株式会社と成徳大学の調査
花王株式会社生活者研究センターと東京成徳大学深谷昌志教授は、「子供のお手伝い」調査として、1984年と27年後の2011年の2回にわたって小学4年生〜6年生の学童を持つ家庭に学校を通して質問紙を使い、親と子の両方からの回答を得た。子供の方の意識も知ろうとしたところがユニークであると思われる。
4‐1 調査の要約
子どもたちのお手伝い18項目を多い順に並べている。「食後食器運ぶ」「自分の机まわり掃除」「茶碗や箸並べる」「食事時テーブル拭く」「ご飯よそう」「洗濯物たたむ」「玄関靴揃える」「みんなで使う部屋掃除」「洗濯物しまう」「風呂掃除」「ごみを出す」[洗濯物干す]「食器を洗う」「簡単な料理作る」「食器を拭く」「朝新聞取る」「トイレ掃除」「近所に回覧板回す」。調査結果の概要は以下のようである。
・27年前と比べ、子どものお手伝い実施率は上昇している。ただし、男子は増加しているのに、女子は減少傾向にある。
お手伝い18項目中、13項目で実施率が増加。週3回以上手伝っている項目が、1984年31%→2011年33%。男子は23%→31%、女子は40%→36%。
・母が外で働く家庭では子供は家事の担い手であることが多く、母も好意的にとらえている。「決まったお手伝い」のある割合は、「フルタイム」62%、「パートタイム」61%、「専業主婦」56%。手伝いの内容にも違いがあり、専業主婦家庭では「食後食器運ぶ」といった簡単なものが多く、フルタイムとなると「洗濯物しまう」「ごみを出す」が多くなる。「フルタイム」「パートタイム」の母親たちは子供が手伝ってくれることに「助かる」と感じ、子どもと一緒にやる家事は「とても楽しい」という回答率が高い。
・家事に前向きな子どもは、時間を有効活用しており、家族の一員としての自覚と自信をもち、将来、自分が持つであろう家庭というものに明るい展望を抱いている傾向がある。
お手伝いの項目を多い順に並べているのであるから、簡単なものから複雑なものへと順に並ぶのは当然である。そうした順序に逆らうように目立って、16番目に「朝新聞取る」が、最後の18番目に「近所に回覧板回す」という極く簡単なものが置かれている。前者からは、朝に弱い子供を布団からはがすようにして登校の支度をさせる母親たちの様子が目に浮かぶ。後者からは、近所との付き合いをうとましく思う姿勢がすでに芽生えていることをうかがわせる。
要約のいちばん終わりに挙げられている「自己評価の高さと将来への展望」については、少し詳しくまとめる。
4‐2 家事手伝いに前向きな子どもたちの特性
差をはっきりさせるために、よくお手伝いする子=「手伝う群」として上位25%を、あまり手伝わない子=「手伝わない群」として下位25%を取り上げて対比させている。
・「手伝う群」は、先にあげた手伝いの全ての項目で実施率が高い。「手伝わない群」は、「食器を運ぶ」程度しかしていない。
・「手伝う群」は勉強時間が長く(1時間以上78%)、テレビの視聴時間が短い(3時間以上19%)。一方、「手伝わない群」は勉強時間が短く(1時間以上57%)、テレビ視聴時間が長い(3時間以上36%)傾向がみられた。
・家庭の雰囲気について、「食事がおいしい」「親戚と仲が良い」「皆が幸せ」「家族の仲が良い」「皆で助け合う」「近所の人と仲が良い」「皆で家の仕事をする」「家にいると楽しい」のどの項目でも、手伝う群>手伝わない群であり、特に「皆で家の仕事をする」については顕著な差がみられ、手伝う群50%>手伝わない群10%と、5倍もの差がある。
・現在の自分に対する評価でも「手伝う群」は、「友達が多い」「頑張る」「優しい」「勇気がある」などの項目に対して、「とてもそう思う」と回答する割合が高い。また、「どんな大人になれそうか」という問いに対して特に、「良い父・母になれる」「幸せな家庭をつくる」の項目に「きっとできる」と回答する率の差は大きく、手伝う群の方が将来に明るいイメージを抱いていた。
そもそも、明るく活動的な子だから手伝いを多くするのか、家庭の雰囲気が手伝いをする子を育てるのか。両方が循環していると思われるが、先に触れたように、母親がフルタイムやパートタイムで働いている家庭で子どもの手伝いの頻度とその内容の濃さが増していることからも、必要性や育て方が大きく影響していることは間違いないであろう。
5 家事にコミットさせるのは、子どもの人格を認めること
子ども(とりわけ赤ちゃん)の能力を侮らず、誠実に現実を一緒に体験し処理しあうこと。これは一つの人格として相手を認めることでもある。それだからこそ、成長に応じて出来ることから生活を分担させ、家庭のことにコミットさせる。掃除、買い物、洗濯、料理はもとより、そういう環境であれば、ちょっとしたDIYや庭の手入れやペンキ塗りまで。成長につれて複雑な作業ができるようになれば、むしろ子供を奉行として計画から仕切らせ、父・母が与力・同心となって同じように汚れることである。子供には達成感と誇りを与え、家庭には共感と連帯感をもたらし、親も子もハッピーになれる。加えて家のメインテナンスの費用も浮くから、一石数鳥もの結果にもなり得よう。このところしきりに提言されている「生きる力」を育むには、いくつもの塾に通うよりも有用であるだろう。共に活動する喜びを覚えることは、方程式をこなすよりも、生きるための土台として重要であることは間違いない。
とことん話し合った上で家庭のルールを決め、それが破られたときの対応のあり方も互いに了承しあっていることが望ましい。言うまでもなく、責任を取るという基本的な姿勢を育てるためであるが、こうした手続きをこなすだけでも実は相当の努力が要る。腹をくくってやらなければいけないことではあるし、それだけの価値がある。原点はなんといっても、家庭(親と子のあり方)にあることを確認したい。
「現実を共に体験する時間を長く持つ」ということは、一日中一緒に過ごすということではない。緊張・集中のあとには弛緩が必要であるという、生き物の生理を無視した時間の取りようはむしろ有害なことがある。メリハリが大切であり、定職を持つ母親が充実した子育てができているのはごく普通である。働きに出る母親を見送って自分も元気に保育園なりに通える子どもは、母親との間ではもとより、他の人との「基本的信頼感」というものに自信を持てているからである。
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。