ウソという小鳥がいる。スズメよりも少し大きめで、全体がふっくりと丸みをおびており、微妙に濃淡のある灰色の服をまとっている。
頬のあたりに別の色気がまじることから、少年の頃の私たちはアオウソ、アカウソと二種類に分けて呼んでいた。アカウソなどというと、「真っ赤な嘘」というのが連想されるが、ウソたちはクチバシからして短く太く、それとバランスをとるかのように、心根もおっとりとしている。
おおかた、人里はなれた高山の原生林ともいうべきところに棲息していて、民家の近くに姿を見せるのは一年のうちでわずかの数週間、早春の一時期だけだった。二月の終りから三月いっぱい、桜の新芽が動き出したころ、餌の少ない山奥から降りてくるのである。
まだ根雪が残っている林を歩いている時、薄桃色をしたチリのようなものがドーナツ状に散らばっている場所にでくわしたら、その中心に山桜の樹があることが知れ、さらにちらちらと落ちつつあるものが見えたなら、今その桜の樹の枝にはウソたちが集まっているのだと知られる。薄桃色をしたチリは、冬の間じっと芽を守っていた硬い皮。ウソたちは、あまり器用そうには見えない嘴の中で忙しく木の芽を転がして、私たちが竹の子をむいて中身だけを食べるのとおなじことをしているのである。 “心につながる 「ウソ」” の続きを読む
長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。
身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。