子犬のケン

             
  〽総攻撃の命くだり
   三軍の意気天を衝く
   目醒めがちなる敵兵の
   胆驚かす秋の風
   ・・・・・
   トテーッ!
   やい、有象無象!

 乱れがちなる父の足音が、大きなだみ声ともつれあって石段を降りてきた。私が小学校二年生のころの秋の夕辺。歌は日露戦争当時の古い軍歌。父が酔ったときによく歌っていたが、正確かどうかは分からない。「トテー、やい、有象無象」というのは、父の即興の合いの手。
 ガラガラと大気を裂いて落下してくる敵の砲弾が至近であるのを知って、私はすばやく草履をつっかけ、台所から庭のほうへ避難しようとした。が、酔っ払いというものはいつでも変なところに冴えているもので、この時も父の目はすでに私の動きを捕捉しており、すかさず浴びせてきた。
「そこな、待てい。トテーッ! やい、有象無象!」
 有象無象というのは何であるか、後になってだいたい分かるようになった。もうひとつの合いの手「トテーッ!」の方は、いまになっても何のことか分からない。 “子犬のケン” の続きを読む