楽しかった乗物　三つ

　人生の第4コーナーを廻ってから、なんと、３週間ほどの入院を要する手術を２度受けた。麻酔から醒めると襲ってくる強烈な痛みの中で、１秒１分を少しでも楽に耐える方法は無いものかとあがいた。・・・来し方のうちから、楽しかったこと三つ、美しかった光景三つ、恐ろしかったこと三つなどと、あれこれを掘り出してゆくのが最も有効だった。幼い頃のことがほとんどだった。

楽しかった乗り物　三つ

①　バンクーバーの水上飛行機
②　ナイヤガラフォールのヘリコプター
③　チボリ公園の回転塔

１　バンクーバーの水上飛行機

　 カナダのバンクーバーは「世界の住み易い街」の上位にランクされる常連であるだけに、海と山と街とが立体的に調和して組み上がっている都市である。
　そういう所を、高く低く、上から眺めるのは楽しくないはずはないと考えて、日本を立つ前に水上飛行機(sea plane)での遊覧飛行を予約しておいた。水上飛行機の発着場はバンクーバー港の西の外れにあることも調べていた。

　当日の午前中、無料の送迎バスというのに釣られるようにして、市街地を北方に外れた所にある「キャピラーノ吊り橋」という観光名所を訪れた。失敗だった。世界一長い吊り橋ということだが、園内を作り込みすぎている。混んでいる上に入場料もバカ高かった。帰りのバスに乗る際に「このバスでエアポートに行けますね」と尋ねると、係員が怪訝な顔をした。気がついて、エアポートをシープレーンポートと言い直すと、ニッコリしてOKということだった。
　水上飛行機は英語ではsea planeと呼ばれる。車輪の代わりにカヌー型をした大きいフロートを付けているので、曲芸飛行などは出来ないであろうが、見るからに安定していて愛嬌がある。

　パイロットを含めて5人ほどが乗れる単発の飛行機だった。
　その日のバンクーバー港は晴天のうえに無風で、大きなフロートが水を切り始めたかとおもうと、すんなり離水した。
　担当のパイロットは、高層ビルの林立する上をざっと廻っただけで、直ぐに北方に機首を向けてくれた。バンクーバーは結構に高い山々に四方を囲まれているが、特に北側が山に近い。鋭い岩であることが多い山頂が次から次へと複雑に現れて、地形の襞は深い。夏だというのに、雪を残している斜面も多い。高く低く、旋回また旋回。時に狭い谷を底近くまで降下してから反転上昇に移り、岩肌すれすれを掠めたりした。
　そして湖が多い。複雑に入り組んだ形をした大小の湖が次から次へと現れる。「あそこにも降りられるか」と尋ねると、「もちろん」とパイロットは答えた。「湖岸のレストランでのランチ付きピクニック」というオプションが有るということだった。飛行機と山と湖。想像するだけでわくわくした。

いつの日か、いつの日か・・・シープレーンでランチ付きフライトを！

２　ナイアガラフォールのヘリコプター

　「ナイアガラの滝」観光の定番といえば、頑丈そうな遊覧船で滝壺近くまで運ばれて行って、四方八方からの轟音と水飛沫にもみくちゃにされることであろう。水というものがまとまると途方もないエネルギーを持つことになるということが、ずぶ濡れになるというおまけ付きで納得させられる。
　「ナイヤガラ」というのはアメリカ先住民によれば「水の雷」という意味だそうである。天と地の咆哮といった畏敬が込められた素晴らしい表現だと思う。
　「水の雷」は、滝口が馬蹄形をした圧倒的に大きなものと、アメリカ滝と呼ばれる妹分とで成り立っているが、感動をさらに高めようとするなら、ヘリコプターに乗って、滝の上流と下流の様子を見ることが感動の仕上げになる。
　ヘリコプターは、巨大な二つの滝が巻き上げている水煙をかすめるように飛んでから、高度を上げて先ずは上流へ向かった。滝の上流は川幅が広く、それでいて流れは結構に急で、滝口付近になると白い横皺のように逆巻きながら、莫大な水が広く広がったままで奈落に突入して行っている。

　滝の下流は川幅がぐんと狭く、それだけに流れはもっと急である。両岸は深くえぐられて切り立ち、水は荒々しく沸き立って一刻も休まずに岩を削り続けている。しばらくすると、北に向かっていた流れが大きく方向を変えて東に向かう地点があった。Whirlpool(渦巻き)と呼ばれているという。急流が正面の崖に行方を阻まれて逆巻く有り様はとりわけ圧巻だった。
　滝壺と、その迫力に劣らない周辺を合わせて俯瞰する。「水の雷」というのがいくらか分かるような気分になった。パイロットのすぐ横の席は透明な繭に包まれて空中にせり出しているようである。遊覧ヘリコプターでの飛行は20分にも満たなかったが、忘れ難い体験となった。

３　チボリ公園の回転塔

　デンマークの首都コペンハーゲンの中央駅のすぐ近くに、周囲の街のたたずまいとは全く違った一角があった。江戸時代末期に開設された世界最古ともいわれる遊園地だという。首都のど真ん中であるだけに大勢の人が訪れるスポットであるらしい。
　入園して驚いた。
　さして広いとは言えない敷地に、庭園、コンサートホール、オープンテラス、レストランといった静かな施設が置かれており、その間を埋め尽くすように、土産物売り場、立ち食いスタンド、野外ステージ、ゲームセンター、電動カートコース、射的コーナー、観覧車、メリーゴーラウンド、複数の絶叫系マシン等がぎゅう詰めになっている。
　入口のほど近くに、目立って高い鉄塔が聳え立っていた。塔の中心から10本ほどの骨が突き出ており、その先からはそれぞれワイヤが伸びていて端末に椅子が括り付けられている。骨組みを回転させながら上下させれば、そのスピードに応じて、椅子も様々な角度に広がりながら上下するという仕掛けである。「スターフライヤー」という名前が付いているらしい。「星まで飛ばして見せましょう」という意気込みなのだろう。極東からの客としては「よし、乗らいでか」と思った。

　遊園地に灯がともり始め、鉄塔もライトアップされて一層目立つようになった。一回毎に２ダースほどの人数が掃けていたが相当に待たされ、いざ順番が回ってくると、持ち物全部を個人用の小さなロッカーに入れるように指示された。手荷物はもとよりカメラやケイタイも預けなければならない。高所からとんでもない方向に落下したら大事に至ることもあるというのであろう。所持を許されたのは財布とパスポートぐらいだった。それが済むと、椅子に腰ベルト一本で固縛された。
　ゆるやかに回転しながら登り始めた。ロープが伸び、遠心力に従って椅子は外側に振り出される。塔のてっぺんにまで達すると下降に移り、一定のところで再び上昇する。そんなことが３回ばかり繰り返された。

　・・・驚いたことに、下から見上げていた印象と違って、静かでスムースであった。いわゆる絶叫系マシーン(ジェットコースターやフリーフォールといったもの)の売りである急激な方向転換や加速減速といったものとは全く無縁である。「スターフライヤー」とは上手い命名だと思った。宇宙空間で独りで母船から離れたとする。強いパイプなりザイルなりで繋がれていると信じることが出来れば、周囲を見回す余裕も生まれるであろう。
　宇宙遊泳と比べればスケールはとんでもなく小さい。けれど、ロープに身をゆだねて、鉄塔のてっぺんあたりを振り回されながら眺める。
　コペンハーゲンの夜景は落ち着いていて美しかった。この街には高い建物が少ない。360度の光景を360度の方向から。どこからも光の絨毯が広がっているのを見渡せた。みんながとりこになっているようで、悲鳴などは何処からも聞こえてこなかった。

　遊園地を出る直前に、ヴァイキングの船団を模したメリーゴーラウンドがあるのに気が付き、仕上げのつもりで乗った。前と後ろに竜の首の飾り物を付けたボートが、押し寄せてくる大波をものともせずに進むという趣向だった。・・・ゴトンガタンと騒がしくて、　「スターフライヤー」の静けさを際立たせる結果になった。

　園を出て振り返ると、鉄塔がひときわ高く聳え立っているのが見えた。