神戸連続児童殺傷事件 Ⅹ 「社会で」

1 逆風の中での贖罪

 神戸連続児童殺傷事件の犯人である元少年は、6年半の施設内処遇を経て医療少年院を仮退院した。少年事件については少年法の理念から出院の情報などは守秘されるところ、被害者遺族などの要望に応えての特例にするとの法務省の判断で、出院の日時が開示された。
仮退院が報道された直後から、インターネットを介して情報が飛び交い、掲示板には特定のコーナーが出現し、その日の夕方までに投稿は数千件に達した。投稿では、元少年の氏名や事件発生当時の写真と称するものを載せたり、新しい居住地を臆測して自治体名や地域の名前を挙げたりしていた。これに対し法務省は、「プライバシーを侵害し、社会に不安を広げ、平穏で円滑な社会復帰を阻害する人権侵害行為である」として掲示板開設者に削除を依頼した。
 一方、「本人が更生できるかどうかは、自分のペースで生きられる条件がどれだけ整うかにかかっている。周囲はできるだけそっとしておく方がよい」といった静穏な捉え方もあり、つまるところ、元少年がどのように受け入れられてゆくのかについては、社会全体のありようにゆだねられることになった。

 本人である若者は、まずは保護観察下で社会での生活を始めたのだったが、マスコミの姿勢は総じて厳しく、さまざまな追跡記事が臆測のままに多量に報道された。それらによると若者は神出鬼没で、北国にも南国にも、かと思うと東京のすぐ郊外の街にいた。同時に何か所かに居たこともある。これが何年間と続けられた。
 社会に戻った若者にとって、かつての自分がそれをもたらしたものだとはいえ、それからのおよそ11年間を「逃亡者」として生きるというのは、辛いことであったろう。そうした中で、彼は贖罪の行為を、およそ10年間にわたって定期に実行し続けた。具体的には、間に立ってくれた人のご苦労で取り決めることができていた賠償金を小割にして月毎に被害者遺族達に送り届けることと、自分が殺めてしまった子供たちの命日に合わせて謝罪の書簡を届けることであった。
 年に一度の書簡が送られてくると、その内容へのコメントが被害者遺族の方々から新聞に寄せられることが幾度かあった。約束がきちんと果たされていることを間接に知る毎に、彼の治療と教育にたずさわった者の一人として、筆者はじわりと心が暖まる思いがした。持続ということに格別な意義があるであろう。社会に適応していることの証にもなっていた。
「心に届く誠実さが増してきていると感じられる」といったコメントを読むと、いつかは被害と加害の双方に新しい繋がりが醸し出されるに違いないと期待できる気分になった。悲惨な事件が社会に発信できるポジティブなフィードバックがあるとしたら、こうした経過こそがそれであり、同時に「修復的司法」の先駆けとなるはずであった。かつて社会に振りまかれた不安というものを、その一部であっても安堵と可能性に変えることができるとすれば、これからの犯罪刑事政策のうえからも、その意義は小さくないと筆者には思われた。

2 達成寸前の崩落

 被害者遺族の一人は、「これぐらいで次の段階に進んでもいいのではないか」と感じるまでになったという。我が子を殺められてから18年間続いている苦しみが終わったという意味では勿論ない。辛抱強く信じてきた「修復」という果実に手を伸ばして、実り具合を試しつつ、そろそろ次のステップに進めるかと思ったということであろう。
ところが丁度そのころ、若者は疲弊の限度近くに至っていたとはいえ、とんでもない判断をして、それを実行してしまった。結果として、果実に手を伸ばそうとしていた被害者遺族たちが乗った梯子を蹴り飛ばしてしまうことになり、遺族たちは折り重なって転落し、また大きな傷を負わされることになった。
 信じようとしていただけに、衝撃は大きかったであろう。遺族の一人は「二度殺された」と怒りと苦痛を表現し、一人は「事件に向き合う覚悟があり、自分の言葉に責任を持つのなら、実名を出すべきだ。素性を明らかにしないのは卑怯だと思う…踏みにじられた思いです」などと語った。
2015年6月28日、「絶歌」と題した手記が出版されたのである。被害者側に相談も断りもなく、しかも「元少年A」という匿名を使っていた。
 どうしてこのような、達成寸前の崩落が為されたのであろう。

 本人の手記には、逃亡の生活を振り返って、こうある。

 ・・・振り返ると、プレス工時代はアクセサリーデザイン、建設会社に居た頃はペーパークラフト、流浪生活を送った頃はコラージュと・・・当時は意識しなかったが・・・何かを創り、表現することで、必死に自分で自分を治そうとしたのかもしれない。そうして僕が最後に行き着いた治療法が文章だった・・・

 ・・・どこへ行っても僕はストレンジャーだった。長い彷徨の果てに僕が最後に辿りついた居場所、自分が自分で居られる安息の地は、自分の中にしかなかった。・・・自分の内側に、自分の居場所を、自分の言葉で築き上げる以外に、もう僕には生きる術がなかった・・・

 自分の内側を掘り下げるということは良い覚悟であろう。言葉という領域に自分の居場所を見付けようとする人たちは、それぞれにそのようにしているのであろう。
 問題は、自分の内側を掘り下げつつ何をするかということである。きわどいタイミングであったが、青年の覚悟の方向を決定づけるような出会いがこのとき起こった。「異端者の快楽」などとして、次のように発信している出版界のA氏との邂逅である。

 ・・・真の表現や表出は、異端者のみによってなされる。彼らはこの世の規範や倫理から逸脱しているからこそである。一方、大衆というものは、この世にいてこの世ならざるものを観たいものである。・・・作品さえ良ければ、その作者が殺人者であろうと性的異常者であろうと、わたしを感動させてくれれば、誰であっても体を張って守ってやろうと思う・・・

 隠蔽の生活に疲弊した青年がすがり付かんばかりに引き付けられたありさまが目に見えるようである。白い羊たちの群れに苦労して復帰しようとしないでも、A氏のような人につながって、異端の世界で生きることができそうなのである。
はたして二人は接近し、手記出版の手順が進められた。ここからが筆者には分からなくなる。「二度殺される」ような目に合わされる被害者遺族たちをはじめ、迷惑と被害をこうむる人たちが多数生じることが明らかに想定されることをどのように考えるのか。広く世の人々に、打っちゃられ感とともに何とも言えない不快感と不安定感を与えることになるのをどう考えるか。手記「絶歌」のあとがきで、青年はしきりに不意打ちを詫びていることからも明らかなように、本人を始め出版にかかわった当事者たちは事態をはっきりと想定していた。「異端」とは、こういうことをするものだとして良いのであろうか。これが「真の表現や表出」なのか。「良い作品」なのか。「異端者の快楽」とは、こういうことなのだとして良いのだろうか。
 「二度殺されるような目に合う」などとは、この世にそうあることではない。「一度子供を殺された」ことで充分に稀である。遺族たちは充分にマイノリティであり、苦悩し、だからこそ、人を打つ作品やコメントをいくつも発信している。
A氏はこちらのマイノリティも「・・・体を張って守る」べきであった。手記出版についてはA氏の立場は全能であった。
成熟した社会とは、こうした状況にある青年に当たり前のことを告げられる人を、ごく普通に持てている環境だと筆者は思う。たとえば次のように・・・。

 ・・・匿名での不意打ちは許されることではない。君がやるべきことは、生きることを重ねて、何回でも書き直し、書き足すこと。懸命な生きざまは深みに溜まってゆく。文章に生きるとはこういうやり方をいう。いずれは必ず遺族たちに受け入れられる。許されて実名で発表すれば、君は贖罪をやり遂げた男として世間からも祝福されるだろう。その手記は売れるから、私も幸せになれるはずだ。社会の仕組みというものは本来そういうものでなければいけないのだ。なめてはいけない・・・

 実際はそうではなかった。異端を取り入れ、異端を育てる。そういうことにはならなかった。手記出版の作業が半ばとなったときに、青年自身があやうくバランスを取り戻し、『多くの人を悲しませることになるから止めにしたい』と申し入れたことさえがあったにもかかわらず。よくは分からないが、プロモーションの動きはすでに止められなくなっていたらしい。これもよくわからないが、こうした前後に、青年に対して数百万円かの補助というか投資がなされたという報道を目にしたことがある。
 何のためにこのようなことがなされたのだろう。直接に事件の被害を受けた人はもとより、生涯を掛けてきた仕事への矜持や誇りを殺がれるはめになった人たちが沢山いる。矯正ということを職業に選んできた人たちばかりではなく、「更生保護ボランティア」とくくられる、保護司、更生保護女性会、BBS、協力雇用主といった人たちは何十万人といるのである。こうした人たちの地道な活動と積み上げが、より安全な社会を維持してゆける一因となっている。ことに保護司制度は我が国発祥のもので国際的に評価が高い。その保護司たちが高齢化し、あとを引き受けようという人が近年減少しつつあることが憂慮されている。矯正にたずさわる医師が減り続け、たまりかねて平成27年(2015)に「矯正医官特例法」というのを定めて、例外としてフレックスタイム制などを導入したが、現場の声では事態はあまり改善されていないようである。この国の社会は世界でもトップクラスに治安良く保たれているが、そうした実態を不安という霧で覆い隠すような作用をもたらすことに、どういう意味があるとしているのだろう。

3 希望

 筆者も梯子を外されたような目に合った一人である。そんな気分で長かった仕事を振り返ると、自分の至らなかった事案のことばかりが思い出されて辛いことがある。が、80年近くを「細くて強い神経を作ろう」と精進してきたモットーにかけて、このまま潰されてしまうわけにはゆかなかった。ごく身近な周囲をみて動くことで、姿勢を立て直して時を待とうとする力はまだ残されていた。
筆者は「里山を守る会」というのに入っていて、ボランティア活動の見返りに、畑を安く借りることができている。
隣の区画を耕しているのは、ひと回りほど若い中背のがっしりした人で、同じ会の会員だった。草木を管理する会社に勤めているというから肯けることであるが、野菜作りにはプロ並みの腕を持っていた。彼の仕事の現場は、街路樹や分離帯や公園などの草木の切り戻しや刈り払いをすることであったから、チエンソーや刈り払い機の操作には練達しており、気難しいエンジンを始動するコツなどをマンツーマンで教わることができた。
 二人は良いコンビだった。筆者は木曾谷で、彼は秋田県の田舎で育っており、ジバチの巣の掘りだし方や、渓流の一部を堰き止めてヤマメやイワナを手掴みするやり方などを比べあうのは楽しかった。クジ引きに負けたために、先頭でハチの巣に向わなければならなくなった時のやせ我慢ぶりを、膝を叩いて懐かしみあった。さんざんに刺されたり、岩の下にひそんでいる魚と間違えてカワネズミを掴んでしまったり、どこでも子供たちは似たような失敗をするものである。秋祭りや盆や正月を迎える風習の違いなどを比べあうのも面白かった。
 彼は一直線に畝をつくり、土をていねいに均して水面のような床にタネを蒔いた。畑に雑草というものを見たことがなかった。
 ある夏の日、別れぎわに、「肺に癌が見付かっちゃった。胸に水が溜まっているって」と言い置いて、しばらく姿を見せなかった。一週間ばかりした朝方、畑に行くと彼が来ていて、タバコを吹かしている。「病院を抜け出して吸いに来た。うるさくてね」と笑っていた。「この中のもの、自由に使って。だんだんに整理はするけど」と、自作のシート張りの小さな物置を指して言った。中にはクワやレーキやスコップ、支柱、巻き尺、トマホーク型の薪割り、肥料、マルチシート、自慢の4サイクル式の刈り払い機などが入っていることを、こちらも知っていた。
「いろんなことをやって来て、いまの仕事に就いたのは十五年ほど前。若い連中がほとんどでね。その若いもんがそろって痩せこけているくせに良く働くんだよ。一日中炎天で機械振り回していて、暗くなったら伝票なんか書いてる・・・そのうちの二人と話を進めてね、東伊豆に土地を買った。晴れて風のない日は海に出て魚を獲る・・・いずれ漁業権も取るつもり・・・晴れて風の強い日は畑をやる・・・雨が降る日は本を読む。仕事ができなくなった順にそこへ移るのさ・・・」。

 彼は半年ほど後に死んだ。それからかなりが経つが、畑にこごんで居てふと気配を感じ、隣の区画を振り返ることがある。
 日本の現場に働く人たちは、どのような分野でも、世界一ではないかと筆者は思う。身体を動かしているうちに沈殿してくるのであろう品格のようなものを感じさせる人が多い。一本に筋が通っていて透明度が高い。こうしたところに、この国の将来を賭けたい。

 『異常に不安定な時代に、途方もない親に育てられて、魔物のような子供が世に放たれた』と騒がれた事案を治療教育し、このような事例についても育て直しは可能であることを示し、せめて一灯をともして「不安で内向きな社会」のほのかな明るみとしたかった。
 一灯はもう少しで完成するところだった。柱の頂点に電球を載せようとしたとき、電球は転がり落ちて砕け、光芒どころか不信と無気力を散乱させて、なお足元をあやうくしてしまった。これが、今現在の社会が総体としてなしえたことである。
けれど、その社会を構成する一人の在り方は、特別な出会いによって大きく変わり得る。神戸連続児童殺傷事件についていえば、一人の女性医師と一人の出版社社長とが、そのような出会いを作って、人は変わり得るという事実を私たちの目の当たりに示してくれた。それぞれの志と手段、もたらした結果については、恐ろしいほどの差があるけれども、思えば逆悦的に、これは希望なのである。
 諦めてはいけないと思う。諦めるということは、この世に生を受けて間もなくに犠牲になった幼い被害者たち、つまり「生命」というものに対する冒瀆である。
 この事件の顛末を、これからの事案への対応の参考として次の世代に託すことができれば幸いである。

ロウボウ

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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