ミツバチを巡るスズメバチとカマキリの腕比べ

刺されて死ぬ人が毎年20人前後に達することから、スズメバチは日本の野生生物では最も危険なものにランクされています。
スズメバチにも種類がありますが、毒の強さと攻撃の執拗さなどで、キイロスズメバチはオオスズメバチと並んで横綱級です。
先ず「キイロスズメバチ」に登場してもらっておきます。
全体に黄色味が強く印象され、しばしばオレンジがかって見えることから「アカバチ」とも呼ばれます。脚までも黄色であるところが、飛翔時の見分けに役立ちます。

カマキリ登場

ご存知「カマキリ」には、どうも滑稽なところがあります。私にはそう見えます。
翅を広げ、身を立て、前脚を鎌のように左右に構えて見得を切る姿は、どう見ても大真面目です。それを「蟷螂の斧」などと、自分の力量もわきまえずに強大な敵に挑む様子に見立てられて揶揄されるのは、気の毒なことです。
ヒトにとっては全く無害です。
虫の世界に分け入ってみれば無害どころではありません。「蟷螂の斧」はカギの付いた大きな鎌となり、それが電瞬に獲物を絡めて引き寄せ、おそろしい咢へと運びます。
カマキリは「鎌切」と表記されることがあります。
カマキリは果敢なハンターで、各種の昆虫は云うまでもなく、ミミズ、クモ、ヘビ、カエル、トカゲなどを、はては小型のコウモリや小鳥を捕食した例が報告されています。
小鳥などの場合、その頭に穴を開けて脳を食べるという物凄さですが、それが内に向かうとどうなるかというと、ひもじくなると共食いしあったり、交尾の後にメスがオスを食べてしまうという習性が10〜20%ほどに発揮されるということです。
オスを食べるとメスの産卵の量が2倍にもなるという観察があり(オスの持つ特殊なタンパク質のため)、してみれば、オスは種を多く残すために己の身を犠牲にしているわけで、いたましいのか崇高なのか分からなくなるような凄絶さです。

カマキリ ミツバチの巣をうかがう

東京でもニホンミツバチを飼うことができます。
皇居の緑をあてにして、銀座のビルの屋上にミツバチの巣箱が置かれているのは有名な話です。原宿、代々木、新宿などにも、明治神宮や新宿御苑を蜜源としてミツバチたちが棲息しているに違いありません。ミツバチを飼っているヒトがきっと居ます。私がそのあたりに棲んで居たら、絶対やることですから。
多摩地区ともなると、モザイク状の緑とはいえ相当のミツバチが生活できているはずで、たとえば日野市に残された栗林の端に設置されたミツバチの巣箱を見てみます。
丸太をチエンソーで筒状にくりぬいたものに、野生のニホンミツバチが入って活動しています。
スズメバチに侵入されると、それこそ屍山血河の凄惨な闘争になるので、巣箱の入口を充分に狭くし、夏の日に蒸れないように日陰を選んで置かれています。やがて、網目の細かい金網が二重に懸けられました。これらはサービスやプレゼントではなく、ぎりぎりの量を残して蜜をごっそり戴こうという、ヒトのたくらみです。

入口を少し下がったところに1匹のカマキリがとりついており、鎌をいつでも伸ばせるように掲げ、ひっそりとチャンスをうかがっています。
と、鎌が動いて1匹のミツバチを引っ掛けて引き寄せ、あっという間に頭をガブリ!そのままムシャムシャ。かみ砕く音が聞こえんばかりの健啖ぶり。
もっと食べたいのです。
15分ほどの間に3匹のミツバチをたいらげ、なお、待ち構えの形に鎮まって次のご馳走を狙うという動きを繰り返していました。

キイロスズメバチ ミツバチの巣をうかがう

そうした舞台にスズメバチの登場です。脚が黄色く、背中にも黄色の斑が見えることから、キイロスズメバチまたの名アカバチであることが分かります。
2重に張られた金網の外で、ホバリングして前後左右に揺れたり、網をつつくように接近したり、少し離れてあたりを遊弋したりします。カマキリのに対してのやり方でミツバチの隙をうかがいます。
ホバリング状態のときは脚を垂らしてバランスを取ることが多いようです。

と、ふいに直線的な飛行に移って、ファインダーの視野から消えてしまうことがあります。ミツバチを捕らえて運び去ったのです。必殺の一撃が為された瞬間にシャッターを押すことは私にはできませんが、ファインダーから目を離して姿を追うことはできます。
少し離れた梅林の中で、獲物をたいらげるスズメバチです。
やがて飛び立った行方にジョロウグモの大きな巣がありましたが、スズメバチは巧みに横滑りしてこれを避けたばかりか、ジョロウグモにちょっかいを出してから飛び去ってゆきました。よほど目が良いとみえます。

カマキリ スズメバチに鎌を振るう

カマキリとスズメバチは並んで獲物を狙うことがあります。
左下に見えるのはセミの抜け殻です。大きさを見る目安になるでしょう。
カマキリとスズメバチの関係は平和かというと・・・。

鎌が一閃

あぶない抱き込まれた

からくも脱出


ミツバチの不思議

見ているうちに、だんだん気になってくることがあります。ハンターたちに狩られるミツバチのことです。
仮借ない捕食者たちが巣のすぐ前で待ち受けているというのに、どうしたわけか、いたって無頓着に出入りします。脚に花粉の団子を付けたハタラキバチが帰ってくるのと、同じくらいの数のものがそそくさと飛び立ってゆきます。まるでスズメバチもカマキリも居ないかのように、帰るものも出るものも、平然としてすぐ脇をかすめます。
微妙な位置関係に入ったときに襲撃を受けるのでしょうが、それがどういった条件を満たした瞬間なのか私には分かりません。いずれにしても、ミツバチたちはひどく無造作に見えます。言い換えると、死の危険を超越しているように見えます。

一方、ミツバチは精緻な巣を作ります。歪みのないハニカム構造の育児室を横に繋げ、それがしかるべき大きさになると層状に重ねます。設計図もメジャーも無しに、壮大ともいうべき建造物をものにします。
蜜源の距離と方向をミツバチダンスで教え合い、役割の分担されたカースト社会を形成していることは有名です。

こうした「精緻」と、先に挙げた「無造作」とは互いに相容れない性行ですが、ミツバチの場合、両方とも「働く」という行為の中に現れています。ミツバチたちは時に精緻に、時に無造作に働いているわけです。そして他の生き物と同じように、ミツバチも「自分の種の保全」のために懸命に働くとしてよいでしょう。

「精緻」も「無造作」も「種の保全」のためだとすると、見えてくるものがあります。「巣を作るときは精緻に為し、巣を出入りするときは無造作に為せ」とDNAが教えているのでしょう。
「巣に侵入されて甚大な損害を被るよりも、門前でぽつりぽつりと個体が犠牲になっている方が種の存続に有利である。スズメバチを外に留め置くことになるから」ということでありましょう。ときにDNAつまり本能は、物凄い規定をするものです。

One for all, all for oneとは私たちが理想とする社会のありようですが、前半のone for allという在り方は、進化の過程から云ってミツバチの段階で、簡明に迷いなく、本能のレベルで、がっしりと体得しているように見えます。かの「熱殺蜂球」に躊躇なく身を投じてゆくありさまにも明らかでしょう。つまり全体主義というものは、原始的で、それだけにDNAに根ざした強固なものだと云えそうです。

後半のall for oneについて、ミツバチの社会はどうなっているかを窺うのは難しいことです。観察して判断する材料を、ミツバチはあまり見せてはくれないせいもあると思います。
ヒトはミツバチよりも進化していると仮定して、それならヒトの社会では「全体」と「個」との関係のバランスが取れているかというと・・・その一員でありながら首をかしげざるを得ません。
One for all, all for one(一人は全体のために、全体は一人のために)。一員が何をしようとしているかを見て取り、是とすれば全員がそれをサポートしてゆく・・・ラグビーで古くから言われてきたモットウだそうです。相手と目的が限られたフィールドであれば、達成することが可能でしょう。
今の私たちの社会で、保険制度や団体競技の標語にとどまらず、日常として、互いに「発想と行動の自由」を充分に尊重しあい支援しあえているかというと・・・本能と理念とがぐしゃぐしゃに混じり合って混沌としている段階、と云わざる得ないようです。

自然界の明快さ

自分にも他者にもすっきりとした昆虫たちの在り様。私たちを取り巻いている高等(?)感情(気配り、忖度、思いやり、しがらみ、恨み、つらみ、嫉み、義理、人情など)から解放された世界。憧れることが、正直、私にはあります。

熱殺蜂球
ニホンミツバチが特有に身に付けている、スズメバチの防御法。時に数百匹もの多数で団子状に包み込み、その運動から発する熱で蒸し殺す。断固として有効。ラグビーの密集戦を連想させる。

お土産の花粉をたっぷり脚に付けたミツバチ。ニラの花の中にアリンコ。

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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