神戸連続児童殺傷事件 ⅩⅣ 一件記録が廃棄されてしまった


残念な裁判所の認識 一件記録が廃棄
されてしまった 

 神戸連続児童殺傷事件の一件記録(捜査報告書・供述調書・調査官報告書・精神鑑定書など)が、神戸家庭裁判所によって10年以上も前に廃棄されてしまっていた。このことが発覚したのは、令和4年(2022)10月のことであった。
 それと知らされた複数の遺族はいずれも、「何時かは目を通すことができて、どうして自分の子供が殺されたのかを自分なりに整理を付けようと思っていた」「私たちにとって事件は終わっていない。そんなことが分からないのだろうか」「私の子供が生きていたことさえ事実ではなかったような扱われ方。裁判所に裏切られた」といった悲痛な気持をあらわにした。幾人かの学者なども、歴史的社会的意義のある資料が失われてしまったことを強く悔んだ。

 廃棄されてしまっていたのは神戸連続児童殺傷事件の記録ばかりではなかった。実に、近年起こった重大少年犯罪の記録52件に及び、全国の家庭裁判所が係わっていたことから、家庭裁判所を直轄する最高裁判所の見識と姿勢が問題となった。「特別保存」に指定していなかったという神戸家裁だけのミスではなかったのである。
 令和5年(2023)5月、最高裁の総務局長が記者会見で異例の謝罪をした。・・・裁判所は事件の処理ということに重きを置きがちであって、後世に引き継ぐべき社会的意義のある記録の国民の財産としての価値に目が向けられていなかった。国民と当事者の方々に深くお詫びする。第三者委員会を常設して、これよりは慎重に対処する・・・といった内容であった。

常設される第三者委員会への期待

 廃棄されたものは戻るわけがないから、新設されたという第三者委員会のこれからの機能と動き方に期待するばかりである。
 事件、とりわけ重大事件ともなれば、それへの対応は、発生〜捜査・裁定〜教育処遇〜社会復帰〜贖罪〜当事者間の修復〜総括・分析〜類似事件予防のための知見の蓄積といった一連の流れの全体でなければならない。書き並べただけでもつらつらと長いが、事件として燃え上がった火柱が完全に灰になるのを見届けられるには、数十年を、ときにはさらに長い年月を要する案件も珍しくないだろうと思われる。

 「神戸連続児童殺傷事件」はそうした事件の一つであった。当時14歳であった加害少年が抱えていた問題は、性的サディズム、行為障害、愛着の問題という3つにまとめることができ、これらが互いに絡み合い、折からの思春期心性も加わってグロテスクに膨れ上がってしまったわけであるが、わけても性的サディズムという要因は、遺伝子の変異という生来性の部分が大きいと考えられるだけに手ごわく、人々の生活を一変して向上させるような天才が現れることがあるように、時に社会に突き刺さるような突出として現れ得るものである。社会の構造や規制とあまり関係が無いかのように見え、現に昭和戦前という時代に限ってみても、少年による、性的興奮と結びついていると推測される陰惨猟奇な殺人事件は散発していた。・・・神戸連続児童殺傷事件 Ⅺ-Ⅱ少年犯罪の俯瞰[戦前編]参照。

 不幸にして社会がこの種の事件に直面すると、人々は目の前に火柱が吹き上がったかのように驚愕し、憤慨するのは当たり前のことであるが、火柱は消滅したように見えても、殊に被害者遺族の周囲ではくすぶり続けている。「喉元過ぎれば・・・」ということでは長丁場の対応を全うできないし、次の類似事件を予防する手がかりも掴めず、対応のためのノウハウの蓄積も無く・・・同じことの繰り返しになるばかりであろう。
 少数からなる、権威の有る委員会なりが出来るだけ多くの記録などをあさるようにして、加害少年に共通する特性、事件に共通するパターン、生育歴の特性とその中に散在するはずの予兆、それらに介入する効果的な方法やタイミング、発生してしまった事件への対応の評価、予防のための実際的なヒントなどを抽出し、それらを社会に還元し続ける・・・。突発する重大少年事件から社会と少年を守る手立ては、ひょっとすると、このようなことに尽きるかもしれない。

国民の財産ではなく国民の課題

 重大少年事件の記録を多く廃棄してしまったことについて、最高裁判所が謝罪したが、そこに・・・後世に引き継ぐべき国民の財産としての価値に目を向けてゆく・・・といった表現があった。財産というのが筆者にはしっくりこない。財産として守るのではなく、常に取り組んでいなければならない国民の課題であるとするのがふさわしいと思う。重大少年事件を出来るだけ予防し、しかし不幸にして突発してしまうものがあったなら、それには社会の各分野が出来るだけ協調して対処する。その全体を俯瞰しつつ纏めてゆく権威あるオブザーバーの役を常設の第三者委員会にこそ期待したいわけである。

ちゃぶ台がえしを防ぐ

 筆者はどうして第三者委員会、第三者委員会とこだわるのか。
 重大少年事件の対応のそれぞれの段階にたずさわった多くの現場が時に何十年もかけて注意深く積み上げてきた実績が、大規模なちゃぶ台がえしを見るように、たった一人による乱暴な介入で一気に瓦解反転してしまうことがあるからである。

 乱暴と言えば、神戸連続児童殺傷事件の対応にも見られた。
 事件への対応が始まったばかりの捜査・裁定というごく初期の段階で、神戸家裁は少年法の理念にあえて反して少年審判決定書の全文を公開した。「裁定が為されたのだから少年には何の不利益もないはず」という担当裁判官の判断であったと伝えられることがあるが、いくらなんでも信じ難い。おそらく事件の凄惨さと特異さをかんがみて、それへの向き合い方に社会が深く関心を持ってくれるように世論を喚起しようという意図で、あえて少年法の理念である守秘を捨てて国民の知る権利を上としたのであろう。
 この丸投げの開示は火に油を注ぐに等しい暴挙であった。ただでさえ、「この不安定な時代に、とんでもない親に育てられて、魔物のような少年が世に放たれた」という恐怖と憤慨の炎が日本中に燃え盛っていたところに、ヘリコプターから灯油を注いで回ったようなことになり、マスコミの歯止めを甘くし、加害少年の顔写真までが報道され、「こんな魔物がどうにかなるはずはない」という構えを圧倒的な主流にしてしまった。
 これが、それからの教育処遇〜社会復帰〜贖罪〜当事者間の修複・・・と続く対応を著しくやり難くすることになった。例えば教育処遇の段階を担うことになった医療少年院での治療教育は、何をなしても否定的に評価され、盗撮などを交えてマスコミで拡散され、税金の無駄遣いと罵倒されたことも少なくなかった。社会復帰の段階に際しても、「化け物がすぐ近くに現れる!」と全国のあちらこちらに帰住先が想定され、拒否と恐怖が点滅するありさまで、職を確保したうえで両親とともに生活を始めるなどということは夢のような話であり、元加害少年の社会復帰後の日々は、さながら逃亡者のそれとなった。

 社会復帰した元加害少年は、強い逆風の中で生活しながら10年間にわたって具体的な贖罪を続け、賠償金を月々被害者遺族に送付し、年に一度は謝罪の手紙を書いた。「内容がだんだん心に届くようになっている。そろそろ、直接向かい合って話を聞いても良いと考えている」と被害者遺族がコメントを公にして元加害少年に語り掛けるまでになった。手を差し伸べてくれたのであり、対応の流れはようやく、あわや大団円を迎えることができるかという最後の段階に至ろうとしていた。
 ここで両者の手が触れ合うことができていれば、「恩讐のかなた」を思わせる感動のドラマがおそらく幕を開けたであろう。・・・私たちは魔物のような少年も変えることができるのだ・・・神戸連続児童殺傷事件の全体は当初の印象とは全く違った様相に変わり、社会はあらまほしい余裕を得、困難な事案を乗り越えることができた自分たちの社会の成熟度に誇りを覚え、これからの類似事案に対しての自信を高めることになったであろう。国際的にも高く評価されたはずである。

 ところが、運命とも言えようか。このきわどいタイミングに某出版社社長との出会いという介入がなされた。どのような思惑であったかは分からないが、これまでの長期間を地道に積み上げることでようやく組み上げられてきた状況、それを可能にした各方面各現場の人々の熱意や善意、地道な努力、費やされた多額な国費などが一介の出版人によって無視されたことは確かである。紆余曲折はあったものの社長にプッシュされ、元加害少年は被害者遺族たちに無断で匿名の手記を出版することに踏み切ってしまった。差し伸べた手を振り払われてしまっただけに、遺族側の思いは「二度殺されたような仕打ちだ」と反転し、互いを修復ということから絶望的に遠ざけてしまった。
どうして社長は次のような一言が言えなかったのだろう。・・・手記を出すのは今ではない。贖罪と修復を続けて、被害者側の了解を得てから実名で出版する。何年後になるかもしれないが、類を見ない物語になるだろう。その時こそ君は社会に迎えられるし、私も儲かる・・・。
 
 加害少年の手記が出版されて騒がれた時に、事件を締めくくるかのように、新聞に大きく載ったのは「矯正教育は失敗だった」という記事であった。矯正治療教育という段階の責任者であったかくいう筆者は、途方もなく大きなちゃぶ台が見事にひっくり返されるのを目の当たりにしてめまいがしたものだった。・・・魔物は変わるはずはなという出来レースさながら。それを少年院のせいにされてしまった・・・。
 メディアが発達している現在の社会は、互いのつながりが緻密なように見えて、実は脆い。筆者の経験によっても、脆い構造が重なり合っている何処か急所に注目すれば、たった一人の介入でもどんでん返しすることが可能なのである。
 そのようなことが易々とは起こらないように、日常社会には、実態を正確に把握した情報が染み入るように流れ続けて欲しい。最高裁判所が新設した第三者委員会というものには、その温床となるような活動を期待したい。