神戸連続児童殺傷事件 Ⅸ 「処遇のまとめ」

1 理解と処遇を一貫したもの

 少年は乳幼児期に母親との間で生じた「愛着の問題」を抱えつつ育ち、追い打ちをかけられるように、小学5年時に自分の「性の異常」に気付いてしまう。これが決定的な打撃になった。得体の知れないものを抱えて孤独に苦しみながらも、いくつかのSOSを発信するが誰にも気付いてもらえなかった。
 理解や慰めや支え。これらを母親からこそ得ることを渇望したが、強いためらいと成り行きへの恐怖を伴った。渇望と恐怖との葛藤の中、あちこちにぶつかりながら転がり落ちてゆく。本件非行がその到達点であったが、そのとき母親へのいらだちが爆発し、少年鑑別所で罵声を浴びせている。
「なんで来やがったんや!はよ帰れ、ブタ!」。
 困惑しながらも説明を求める母親に、なお自分の口で自分の正体をはっきりと告げられず、自分ともども、少年は母というものを一旦は見限ったと思われる。「母さん、知らん方が幸せなこともあるやろ」というのは、ある意味、思いやりを含んだ決別の言葉である。
 このようにして医療少年院には、社会を捨て、自分を捨て、求めながらも親をも諦めた状態で入院してきた。

 「親ことに母親との関係」こそ治療教育のとっかかりとして中心に置かれるべきであった。それでいて、この問題に正面切って真っ向からアプローチすることは不可、というよりも禁忌とされた。こうした捉えようについては、担当医たちも、臨床心理士たちも、教官たちも、そして筆者も、そろって一致していた。
 このように緊迫した対象に急に迫ることを試みると、強い抵抗にあっていよいよ心を閉ざされて深みに到達できない。それでも押し続けると、圧力に耐えかねて精神病などへの移行をもたらしかねない。それらを回避できたとしても、急な接近は問題を知的あるいは観念的に処理されて上滑りしてしまう危険が大きい。
 経時的に具体的なことは書けないけれども、まずは、安心を実感させるために、観るというよりも向こうに観させ、接触する職員を限定し、造形・読書などに緊張を振り向けさせ、やがて、一緒に動いて課題を達成することから生まれる共感性を育て、ある職員との間に芽生えた信頼関係を汎化させることを意識し、さらにやがては「人はその信頼するものからのみ学ぶ」という環境を醸成してゆく。

 紆余曲折の長い時間を要した。
少年は2年余にわたって親との面会に強く拒否的であったが、次第に受け入れて気持ちを通わせるようになり、ついには院内での或る出来事をきっかけのようにして、自分の中に母親に対する強い愛情が存在することを確認するに至った。その母というのは、メンドリが翼をいっぱいに拡げて敵から我が子を守ろうとするように、常に一枚板の愛情でひた押しに強くあり続け、一度としてぶれることのなかった母である。感覚のずれも、ニュアンスのずれも、そんなものは意味を持たない。ひたすらに我が子をかばおうとする母という生き物で不動のもの。それに気付いて変わったのは少年の方である。

 少年には幸運な面もあったのである。このとき、「生みの母」と「心の母」の両方を手にすることができた。手記「絶歌」にも母親に対する詫びと愛情が随所に表れている。

 母親との間に、心の安全基地とでも言うべき土俵が得られ、自分の心の居場所が永遠に得られたとすれば、「行為障害」という状態像は大きく薄められ、「性的サディズム障害」はガス抜きされて揺らぐ道理である。入院時の「社会を捨て、自分を捨て、求めながらも親をも諦めた状態」は、6年半に及んだ治療と教育を経て、多くの客観的で多角的な視点からの評価で、著しく改善されたと判断された。

 さらに長いスパンで観れば、どういうことであるだろう。事件から起算して18年を掛けての変化を、本人が手記「絶歌」で述べるところは次のようである。
第1に自分について
  ・・・自分が死に値する人間であると実感すればするほど、どうしようもなく、も うどうしようもなく、自分でも嫌になるくらい、「生きたい」「生かしてほしい」と願ってしまうのです。・・・僕は今頃になって、「生きる」ことを愛してしまいました。・・・
第2に母親について
・・・でも母親は、僕が本当はどんな人間なのか、被害者にどれほど酷いことをしてしまったのか、そのすべてを知っても、以前と同じように、いやそれ以上に、ありのままの僕を自分の一部のように受け入れ、愛し続けてくれた・・・母親の愛には一片の嘘もなかった。・・・
第3に社会あるいは世界に対して
・・・自分がかつて、己の全存在を賭して唾棄したこの世界は、残酷なくらいに、美しかったのだと。一度捨て去った「人間の心」をふたたび取り戻すことが、これほど辛く苦しいとは思はなかった。まっとうに生きようとすればするほど、人間らしくあろうと努力すればするほど、はかりしれない激痛が伴う。・・・この世界には余りにも優しく、温かく、美しいもので溢れている。もはや痛みを伴ってしか、そういったものに触れられない自分を、激しく呪う。・・・

 実際の行動はどうだったのだろうか。もう少しというところで自ら崩してしまったとはいえ、社会に戻ってからの11年間を、彼は具体的な行為として贖罪を続けたのである。
 この11年間の生活こそが、処遇の効果と限界の総まとめとも言えよう。

2 性的サディズム障害について

 「性的サディズム障害」の治療と教育については、慣れないターゲットであるだけに、特に整理しておきたい気がする。
 当該少年の3つの大きな問題点のうち、少年院という集団収容生活のもとでの治療教育に最もなじみ難いであろう。なんといっても人の性は「秘め事」と言われるほどに深い部分を含んでおり、本人にとって深刻な問題であるほど、それが日常の生活の表面に顔を出すことは少ない。性的な偏倚を抱える人が、通常の社交場面では魅力的にふるまうことがむしろ多いというのはよく見聞きすることである。

 図にまとめたように、人それぞれが持って生まれる素質としての「性的エネルギー」は、その後の身体生理的環境と心理的環境のもつれあいの中で、絶えず「大脳辺縁系」と「大脳皮質前頭葉」との間でフィードバックされながら発展してゆく。
いまここで、情緒の発達に大きな歪みをもたらすほどの親子関係の問題が存在した場合、その問題が素質である性的エネルギーの発達にどのような変容をもたらし得るかを、当該少年の例になぞらえて図の左側の矢印の流れで示してある。

 「家庭・親子関係の歪み」は、フロイトの言う「肛門サディズム」を処理しそこなって「情緒的未発達」をもたらす。そのときどきに当人が助けを求める対象を見付けることができなかったり、周囲が気付かずに支援できなかったりすると、「破壊本能の転化」が歪み、トーチカのように閉ざされた空間で、事態は加速度的に自閉化する。自閉は孤独を深め、独我的な思考の空転は現実感の喪失さえももたらす。「カニバリズム的空想」などを経て、ついには「性的サディズム障害」とされる事態にまで至ることがある。現にあった。
 
 「性的エネルギーの健康化」を図るにはどうしたら良いだろう。それを図の下段に示した。一言に要約すれば認知行動療法的な実践である。「健康な生活習慣」を取り戻し、「良質な対人関係の学習」を図り、「真の自己表出」を促す。「作品と昇華」の意味を悟らせ、「創造的空想」を助長する。それらを統合する形で、「空想を現実と照応する体験」を積み上げる。最後に「時にふさわしい正常な性的行為」を体験させて歪みを洞察させることであるが、これは少年院での生活ではとりわけ限られていることなので、★印を付けた。
 人の営むところである限り、少年院の生活でも性的な匂いは立つ。仲間とのジョークや会話、ヌードグラビアなどへの関心、自慰の様子、陰部を触り合うなどの反則、異性の職員に対する表出、作品などへの表出、他少年院での水泳訓練の際にフェンスの向こうを通る女性グループを見たときの反応・・・。これらに対する観察や指導を積み上げることは大きな参考にはなるが、確定的な意味を付けるには淡すぎる。「性的サディズム障害」に対して、少年院という閉ざされた土俵でできることは、「性的エネルギーの健康化」をクライアントを一般社会生活の中に置いて観ることが不可能であるがゆえに、このあたりまでが限界であるだろう。どころか、社会という場でも手の届きがたいところがあるであろう。
 が、性的エネルギーの健康化の達成に確信が持てないからといって、ロボトミー(大脳の神経回路の一部を外科的に切断することで能動性を殺ぐ)を行うなどということは、すくなくともわが国では考えられないことである。言動の観察とロールシャッハテストなどの心理テストによって迫れはするものの、当方が確証をつかめないでいるうちにも、認知行動療法的な処遇のたたみかけによって、「性的サディズム障害」から「障害」という表記が外れる程度までに改善をみているとするならば、つまり、互いに了承を得たうえでの「性的サディズム」といったレベルまで健康化しているとするならば、それは性のありようの通常の形態として市民権を得つつあるのが昨今の趨勢である。
 図の下段を見直してみる。「性的サディズム障害」に対する認知行動療法的なアプローチも、「行為障害」や「愛着の問題」に対するアプローチも、軸足の置き所や着目点に違いがあるとはいえ、行動療法的な実践が有効であるという点で重なり合っているということに注目できる。 

投稿者: ロウボウ

長い間たずさわってきた少年矯正の仕事を退官し、また、かなりの時が経ちました。夕焼けを眺めるたびに、あと何度見られるだろうと思うこの頃。 身近な生き物たちとヒトへの想いと観察を綴りたいと思います。

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